最近、見知っている部署が事業撤退の影響でなくなることになり、会社は「従業員は配置転換とリスキリングを進めていくこと」と指示を出しているそうです。
昨今のシビアな情勢の中では、環境変化の従業員への影響を、そのように対応しようというのはかなりやさしい判断であることは間違いないでしょう。
にしても、このような場合のリスキリングという言葉にはなんだか悲しい響きがあります。
会社の従業員であるという点は対象の人たちもわたくしも変わることはなく、その意味でだいたい自分のことと感じるのですが、仮にそのような状況となったとき、会社が本音で望むことはまずその分の従業員を整理することでしょう。
事業があっての設備であり、投資であり、従業員であるはずです。
アメリカのように気ままに雇用を切れるはずもないわが国では、そんな「当然のこと」から手をつけることができず、法的にはとにかくそのあたり穏便に進めていく方向性で探っていくほかなく、その一環が「リスキリングして、とにかくちょっとでも価値を出して」という表明に行きつくのです。
一方、被雇用者の側も事業がなくなるタイミングでこれからリスキリングして、といわれても、正直いかんともしがたいものがあります。
細分化した先にある特定業務にフォーカスしているからこそ、組織の従業員というものは知識なり専門性なりというものを取得し、取り扱うことができているわけで、その矛先がリセットさせてしまったら、会社に残ることが認められたにせよ手元には何も残っていない、ということが多分にあり得るのです。
つまり、「あることで食えなくなるからリスキリングしよう」という道筋自体、時すでに遅しということなのです。
いうまでもなく、本来のリスキリングは「これから食っていくためにスキルを養うこと」なのでしょう。
将来のために、仕事がなくなる前に、危機感に押されて、など、いろいろな動機で日常業務をこなしながらどこかでウデを磨き、やがてくる変化が目前に現れたときにはすでに準備が終わっているか自分の方が変化を終えている、というのが、おそらくはあるべき姿なのです。
……そう考えると、それができている人って、事業撤退するときにはより良い会社にジャンプアップしていて、とっくに関係なくなっているんじゃないかって気もいたします。

















