その193 変な時間

仕事をしている業界、環境、内容によるところだと思いますが、個人的にはいまだにメールを連絡手段の中心にしています。
チャットツールががばっと広がったときにはついに交代かと思ったものですが、スピード感が違う裏返しに、スピード感以外の要素でとりたてて勝るものがなく、結局メールに回帰したものです。

まあ、ほんとうに人それぞれのところでございます。

そして、社外の方とのやりとりはほぼメールで行っているのですが、最近お取引先の若い営業の方のメールの送信時間に目が行くことがあります。

その方のメールは、もうちょっとで終電じゃないのか、という時間に送られてくることがあるのです。

一般的に表示される情報であるので、そこになにか思うところがあるのかないのか、それはわかりません。ただ、何度か当人と直接会ったときの雰囲気を思うと、なんだか自分の大昔のことを思い出してうつむきたくなる気分になるのです。

わたくしもその方と同じような年齢のころ、むやみやたらと長時間労働の環境にいて、それをちっともネガティブにとらえていませんでした。
帰る時間を仕事の内容ではなく終電が見えてきたから、のように設定していたり、ちょっとしたことを確認するために土曜日の夜に事務所に行ってみたり、あきらかに間違ったことをしていました。

「変な時間にメールを送る」というのもそのひとつです。

夜遅く、事務所を締める前に最後、メールをお客さんに送り、つぎにお客さんとお話しするときに「すごい時間にメールをもらったけど」といわれることで内心得意になっていたのです。

あとになって、なぜそれが間違いだったのかは、自然に理解しました。

「遅くまでやっています」「大変ですが頑張ってます」というポーズは、価値ではないからです。
価値とは、お客さんの役に立ったり、それによって自分の側にも利益を発生させるためのはたらきを指すのです。
当時も自分の力が十分でないことはわかっていましたが、そこでやるべきことは、苦労しているように見せることではなかったのです。

あの若い営業の方も、メールを送った時間をちょっと誇らしく思ったりしていなければいいな、とひそかに思うのでした。

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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