【連載第30回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 044)

HR  第4話『正しいこと、の連鎖執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

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 SCENE:044


 

「選択肢?」

「ええ」

俺が聞き返すと高橋はフーっと煙を吹き出す。また、花とスパイスが混じったような妖艶なにおいが漂う。

「あなた、洗脳の方法って知ってる?」

そう聞かれて眉間にシワがよるのがわかった。

「……恐怖とか苦痛とかを与えて、相手を思い通りにコントロールするんでしょ」

「違うわ」

はっきり否定されて、思わずカッとなる。

「違わないでしょ。何なんです、さっきから」

「あなたの言ってるのは、洗脳じゃない。それはただの脅迫」

脅迫? ……そう言われてみれば、確かにそうだ。だが、洗脳も脅迫も大した違いなどないのではないか。何かしらの理由があって、相手の言うことを聞かされる。状態としては同じじゃないか。

「……どう違うんですか」

「そうねえ」

高橋は俺の方を向き、そしてバカにしたように目を細める。

「例えば、あんたに彼女がいるとするわね」

「はい?」

「もう何年も付き合ってて、あんたはそろそろ彼女に飽きてきてる。でも、長い付き合いなだけに簡単に別れ話もできない。それに、彼女はあんたにゾッコンで、簡単に別れてくれそうもないわけ。どう、イメージできた?」

「……何の話ですか」

言いながらも、俺にはよくイメージできた。過去に似たような状況だったこともある。

「そんなある日、彼女からウキウキで電話がかかってきた。出てみたら、叫びださんばかりの喜びっぷりよ。一体何があったのかしら」

「知らないですよ、そんなの」

「赤ちゃんができました、って」

思わず息を呑んだ。

……いや、架空の話だ。だが、別れたい相手から本当にそんな電話がかかってきたら、俺はゾッとするに違いない。

「そして彼女は、あなたに結婚を要求した。さあ、どうする?」

「どうするって……そりゃ……」

「ふふ、青くなっちゃって。かわいいわね。……まあ、それで実際どうするにせよ、このときあんたは“脅迫”されていると感じるはずよ。もちろん、やることやって赤ん坊までこさえておいて、それで脅迫だなんて虫がよすぎるわよ。でも、こういう話の方が男はピンと来るかなと思って」

……なるほど、確かに、ピンとはくる。

「じゃあ、洗脳はどうなんですか」

バツの悪さを感じつつ言った。

「洗脳は、そうね……例えばあんたに、尊敬している先輩がいたとする。その先輩は強面で、実際ケンカもすごく強くて、頼りがいがあって、揉め事を収めてもらったこともある。それでいて性格もよくて、悩みを口にすれば、まるで自分のことのように聞いてくれる。カッコいいし優しいしで、あんたは要するに、その先輩に憧れていた」

「はあ」

「でも、そんないい人なわけだから、先輩を慕う人間は大勢いた。あんただけじゃない、たくさんの仲間が彼のことを好いていた。先輩は要するに、仲間の皆に優しかったということね」

「……それで?」

「そんなある日、あなたはちょっとしたことで先輩を怒らせてしまった。……内容はなんだっていいわ。あんたはすぐに謝って、それで先輩も許してくれたけど、でも、そのことがキッカケで先輩は、あんたと明らかに距離を取るようになった。あんたは気が気じゃないわよね。でも実際、電話しても出てくれないし、訪ねていってもそっけない態度を取られてしまう。もう謝罪は済んでるし、もうこうなったらあんたにはどうしようもないわよね。あんたは、先輩はもう俺のことは嫌いなんだと思い、強烈な自己嫌悪に陥る」

「……」

「そんなある日、先輩の方から電話がかかってきた。出てみたら、少し会えないかと言われるわけ。当然、喜び勇んで向かうわよね。でも、待ち合わせ場所に行ったら、先輩はなぜか暗い顔をしている。どうしたんだろうと思っていると、先輩は、実は困ったことになってると言うわけ」

「なんですか」

「あんたの知らない先輩の知り合いが、先輩の悪口を広めていて、それによって先輩の人間関係がおかしくなり始めていると。もちろん悪口の内容は事実無根。先輩は身に覚えのない悪い噂を流されて、困っている」

「……」

高橋は一体何の話をしているのか。だが、なぜか引き込まれる。というより、俺は感情移入し始めていた。先輩の悪口を流したやつに、怒りを覚える。いったい、どこのどいつだ。

「先輩はそして、その犯人の名前を言った。あんたも知ってるやつよ。共通の知り合いも多いし、どこでどんな仕事をしてるかも知ってる」

「……なるほど」

「そして先輩はポロリと言うの」

「……なんですか」

「あいつさえいなければな……って」

「……」

「さあ、あんたならどうする?」

「……どうするって」

思わずツバを飲み込んだ。その状況になったら、俺はどうするのだろう。憧れの先輩、恩のある先輩が、困っている。そして、困らせている相手もわかっている。そんなとき、俺はどうするのだろう。

答えははっきりしている気がした。俺はその相手に、先輩の変な噂を流すのを止めろと言うだろう。場合によっては、手が出ることもあるかもしれない。

……だが、俺がそれをするのは、正義感からなのだろうか。もちろんそれもあるだろう。優しい先輩を、嘘の噂で苦しめるなんて許せない。だが、それだけではない。俺は先輩との関係を修復したいと考えている。自分のミスで一度できてしまった溝を、今回の「成果」で取り戻したいと思っている。

黙ってそういうことを考えている俺を、高橋は目を細めて見つめた。そして、怪しい笑みを浮かべて言った。

「ね? これが洗脳」

「……え?」

「実際には選択肢を奪われているのに、それに気づかない。あんたはきっと、その相手を排除しに行くでしょう。あくまで自分が選択したのだと思いながら」

「……」

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