HR 第4話『正しいこと、の連鎖』執筆:ROU KODAMA
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SCENE:044
「選択肢?」
「ええ」
俺が聞き返すと高橋はフーっと煙を吹き出す。また、花とスパイスが混じったような妖艶なにおいが漂う。
「あなた、洗脳の方法って知ってる?」
そう聞かれて眉間にシワがよるのがわかった。
「……恐怖とか苦痛とかを与えて、相手を思い通りにコントロールするんでしょ」
「違うわ」
はっきり否定されて、思わずカッとなる。
「違わないでしょ。何なんです、さっきから」
「あなたの言ってるのは、洗脳じゃない。それはただの脅迫」
脅迫? ……そう言われてみれば、確かにそうだ。だが、洗脳も脅迫も大した違いなどないのではないか。何かしらの理由があって、相手の言うことを聞かされる。状態としては同じじゃないか。
「……どう違うんですか」
「そうねえ」
高橋は俺の方を向き、そしてバカにしたように目を細める。
「例えば、あんたに彼女がいるとするわね」
「はい?」
「もう何年も付き合ってて、あんたはそろそろ彼女に飽きてきてる。でも、長い付き合いなだけに簡単に別れ話もできない。それに、彼女はあんたにゾッコンで、簡単に別れてくれそうもないわけ。どう、イメージできた?」
「……何の話ですか」
言いながらも、俺にはよくイメージできた。過去に似たような状況だったこともある。
「そんなある日、彼女からウキウキで電話がかかってきた。出てみたら、叫びださんばかりの喜びっぷりよ。一体何があったのかしら」
「知らないですよ、そんなの」
「赤ちゃんができました、って」
思わず息を呑んだ。
……いや、架空の話だ。だが、別れたい相手から本当にそんな電話がかかってきたら、俺はゾッとするに違いない。
「そして彼女は、あなたに結婚を要求した。さあ、どうする?」
「どうするって……そりゃ……」
「ふふ、青くなっちゃって。かわいいわね。……まあ、それで実際どうするにせよ、このときあんたは“脅迫”されていると感じるはずよ。もちろん、やることやって赤ん坊までこさえておいて、それで脅迫だなんて虫がよすぎるわよ。でも、こういう話の方が男はピンと来るかなと思って」
……なるほど、確かに、ピンとはくる。
「じゃあ、洗脳はどうなんですか」
バツの悪さを感じつつ言った。
「洗脳は、そうね……例えばあんたに、尊敬している先輩がいたとする。その先輩は強面で、実際ケンカもすごく強くて、頼りがいがあって、揉め事を収めてもらったこともある。それでいて性格もよくて、悩みを口にすれば、まるで自分のことのように聞いてくれる。カッコいいし優しいしで、あんたは要するに、その先輩に憧れていた」
「はあ」
「でも、そんないい人なわけだから、先輩を慕う人間は大勢いた。あんただけじゃない、たくさんの仲間が彼のことを好いていた。先輩は要するに、仲間の皆に優しかったということね」
「……それで?」
「そんなある日、あなたはちょっとしたことで先輩を怒らせてしまった。……内容はなんだっていいわ。あんたはすぐに謝って、それで先輩も許してくれたけど、でも、そのことがキッカケで先輩は、あんたと明らかに距離を取るようになった。あんたは気が気じゃないわよね。でも実際、電話しても出てくれないし、訪ねていってもそっけない態度を取られてしまう。もう謝罪は済んでるし、もうこうなったらあんたにはどうしようもないわよね。あんたは、先輩はもう俺のことは嫌いなんだと思い、強烈な自己嫌悪に陥る」
「……」
「そんなある日、先輩の方から電話がかかってきた。出てみたら、少し会えないかと言われるわけ。当然、喜び勇んで向かうわよね。でも、待ち合わせ場所に行ったら、先輩はなぜか暗い顔をしている。どうしたんだろうと思っていると、先輩は、実は困ったことになってると言うわけ」
「なんですか」
「あんたの知らない先輩の知り合いが、先輩の悪口を広めていて、それによって先輩の人間関係がおかしくなり始めていると。もちろん悪口の内容は事実無根。先輩は身に覚えのない悪い噂を流されて、困っている」
「……」
高橋は一体何の話をしているのか。だが、なぜか引き込まれる。というより、俺は感情移入し始めていた。先輩の悪口を流したやつに、怒りを覚える。いったい、どこのどいつだ。
「先輩はそして、その犯人の名前を言った。あんたも知ってるやつよ。共通の知り合いも多いし、どこでどんな仕事をしてるかも知ってる」
「……なるほど」
「そして先輩はポロリと言うの」
「……なんですか」
「あいつさえいなければな……って」
「……」
「さあ、あんたならどうする?」
「……どうするって」
思わずツバを飲み込んだ。その状況になったら、俺はどうするのだろう。憧れの先輩、恩のある先輩が、困っている。そして、困らせている相手もわかっている。そんなとき、俺はどうするのだろう。
答えははっきりしている気がした。俺はその相手に、先輩の変な噂を流すのを止めろと言うだろう。場合によっては、手が出ることもあるかもしれない。
……だが、俺がそれをするのは、正義感からなのだろうか。もちろんそれもあるだろう。優しい先輩を、嘘の噂で苦しめるなんて許せない。だが、それだけではない。俺は先輩との関係を修復したいと考えている。自分のミスで一度できてしまった溝を、今回の「成果」で取り戻したいと思っている。
黙ってそういうことを考えている俺を、高橋は目を細めて見つめた。そして、怪しい笑みを浮かべて言った。
「ね? これが洗脳」
「……え?」
「実際には選択肢を奪われているのに、それに気づかない。あんたはきっと、その相手を排除しに行くでしょう。あくまで自分が選択したのだと思いながら」
「……」