【連載第38回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 055)

HR  第4話『正しいこと、の連鎖執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

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 SCENE:055


 

俺たちHR特別室の面々は、数十メートル先の風景を黙って見ていた。

BAND JAPANのオフィスが入るビジネスビルの一階ロビー。しかしそれは俺が正木を待ち伏せたあのスタバのある表側ではなく、ビル関係者――それも、一定のレベルを満たしたVIPだけが利用できるらしい特別な裏口だ。

高級ホテルを思わせるゴージャスな作りのラウンジの先に、自動ドアが見える。その向こうのロータリーに、高そうな黒塗りのワンボックスが停まり、モーニングのようなかしこまった服装をした運転手が、前傾姿勢で滑るように出てきた。背景には、東京のど真ん中だということを忘れそうな漆喰塗りの壁と豊かな竹林。ここはビルとビルの間に作られた秘密の空間なのだ。

車椅子を押す槙原社長が運転手に何かを言い、運転手が何度も頷く。離れているし、自動ドアで阻まれているので、槇原が何と言っているのかはわからない。車椅子に乗っている都筑の顔も、槇原の体に遮られて見えない。

俺はぼんやりと、先程までいた社長室でのやりとりを思い出す。

都筑や槙原社長が、唯一の「正しいこと」として信じてきた、高木生命の伝統。会社を辞め、身体を壊して老人ホームに入った都筑は、そこで初めて、異なる価値観を持つ者同士が助け合い、認め合う姿を目の当たりにした。同時に、それまで自分が振りかざしてきた価値観が、まるで通用しないことを知ったのだ。

<わかるか、槇原。俺は老人ホームでは“弱者”だったんだよ>

部屋を出る直前、呻くように言った都筑の言葉が蘇る。

「さ、行きましょ」

高橋が言い、「そうしよう」と室長も同意する。保科は無言でスマホをいじっていたが、くるりと振り返って歩き始める。

「ちょ、ちょっと……あの」

俺を置いてけぼりに歩いていく3人の後ろ姿に、思わず声をかけた。

「何よ」

高橋が振り返り、面倒臭そうに言う。

「これで終わりですか? 俺たち、あの爺さんと社長を会わせただけじゃないですか。申込書も回収してないし」

そう。そうだ。槙原社長は都筑との会話に夢中で、途中から俺たちのことなんて忘れていたに違いない。長く話したせいか都筑が疲労を訴えると、槙原社長自ら車椅子を押し、ここまで送ってきた。俺たちだけ社長室に残るわけにもいかず、一緒についてきたのだ。

「これがプレゼンなんですか? そもそもAAは、具体的なプランを提示していないじゃないですか」

「プラン?」

俺の言葉に、高橋が眉間にシワを寄せた。あんた何言ってんのよ、という顔だ。

「そ、そうですよ。プレゼンっていうのは、プランを提案するものじゃないですか。掲載媒体とかサイズをどうするのか、いつからいつまで掲載するのか、とかーー」

「違うわ」

俺の言葉を食い気味に、高橋はピシャリと言った。豊かな長い髪をかきあげ、見下すように俺を睨む。

「言ったでしょ。プレゼンで提示するのは、価値観よ。そして、その価値観に賛同するかどうかは、クライアントが決めること」

あ……と思う。価値観の提示。そうだ、確かに高橋はそんなようなことを言っていた。

思わず黙り込むと、高橋の隣に立つ室長が、いつものニコニコした顔で言った。

「あとは社長の判断に任せようじゃないか。ま、きっと何かは伝わったはずさ」

「……そ、そんなに簡単に、あの社長が変わるとは思えませんけど」

苦し紛れに言うと、今度は保科が、スマホに視線を落としたまま言った。

「そりゃ簡単じゃないよ。だから俺たちにこの案件が回ってきたんじゃん」

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