このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
何を聞いたら良いのかすら分らない状態で・・・
自分が何に悩んでいるのかもわらかなくて・・・
これ、社員教育、とくにOJTなんかをやっていると、スタッフから聞かされるやつです。
苦し紛れに言う言葉として有名なやつですよね。
20年近く会社やってると、もうあるある過ぎて、「出たwww」って具合ですよ。
まぁ、彼らが使いたくなる気持ちも分かります。
だって、もっともらしい言い訳みたいなのは、自分のプライドを守るためにも必要ですからね。
にんげんだもの。
この決め台詞を聞くと、この台詞を使える余裕と、それを黙って聞いてくれる相手がいるって幸せなことだなぁ、って思うんです。
例えば、自分で会社なんかはじめちゃった日には、そんなこと言う余裕も無ければ、聞いてくれる相手もいませんから。
言い訳してたところで何も変わらないし、結局解決するのは自分でしょ?
言い訳する余裕なんてゼロです。
麻生太郎さんがある講演で、「若者が政治に関心がないことは、悪いことではない」と話したそうです。
「政治に関心が無くても平和に生きられる」と捉えることもできるよねって話なんですけどね。
なるほど、確かにって思いますよ。
つまり、言い訳をするスタッフを見て・・・
「言い訳ができる環境」がここ(会社)にはあるんだなぁ。
僕が会社をはじめた頃とは全く違うんだなぁ。
って思えますからね。
会社に人が増えたり、取引先が増えれば、それに比例して他責の対象も広くなり、言い訳環境はより整ってきます。
もしかすると、大企業とか、言い訳できる環境の整備がすごい進んでいるのかもしれませんよね。
この手の言い訳って便利だし、ついつい使っちゃいますよね。
ところで、こうしたもっともらしい言い訳って、いつ止められるんでしょうかね?
多分、前述にあるように・・・
・言い訳を言っている余裕が無い
・言い訳を聞いてくれる相手がいない
・・・という状況になったらでしょうね。
例えば、分かりやすいのは、後輩ができたとき。
そして、その後輩の口から「もっともらしい言い訳」を聞かされたときでしょうね。
まぁ、こんな偉そうなこと言いながら、僕も格闘技の試合に出ると決まったとき、「自分が(試合で)何をやりたいのか、何に悩んでいるのかすら、わからないんですよ!すごい怖いですし!」と支部長に半泣きで逆ギレしてましたらからね。
聞いてくれる相手がいれば、40過ぎたいい大人がこの有様ですよ・・・
でも、そう考えると聞いてくれる相手、つまり言い訳できる環境って大事なのかもしれませんね。
もしかすると、言い訳できる環境を意識して整備することって、企業の採用や定着にとって意味のあるものかもしれません。
まぁ・・・「言い訳環境完備」って微妙な人しか集まらない気がしてなりませんけど・・・
ところで、最近、このメディアに何を書いて寄稿すれば良いのか分らなくなってきて、それが最大のギモンなんですよね・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。