その156「マネージャーは因果応報に苦しむことになるのだ」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「マネージャーは因果応報に苦しむことになるのだ」

部下の教育に悪戦苦闘するマネージャーたち。

◯◯さんは、あーだ。
△△くんは、こーだ。

・・・って部下の反応に一喜一憂するわけです。
まぁ、多くの場合、「喜」ではなくて、「憂」の方なんですけどね(苦笑)
教育について思ったような成果が得られず、「全く、どうすれば良いんだよ…」って。
マネージャーたちから部下の話を聞くと、「なるほど・・・◯◯さん、△△くんか・・・それ、昔のあなたそっくりやないかッ!」って思うのです。
マネージャーたちが、過去に、僕にやってきたような仕打ち!?を、彼らは部下から受けているのですよw
いやぁ、因果応報ってあるんだな、って思いますね。
「天に向かって唾を吐く」なんて、昔の人は上手いこといったものです。
唾が自分の顔に落ちてきて、「あぁ、自分、こんなことしてたんですね」と気付き、唾を吐かれまくった僕の苦労はようやく報われるわけです。

つまり、マネージャーの多くは、過去、大なり小なり、生意気だったり、扱いづらい厄介な人だったりしたわけです。(※弊社調べ)
経営陣への不満を数十ページもの資料にまとめて「経営陣は無能だ!」とプレゼンしてくるような人や、入社3日目で「こんな会社糞だ、辞める」と泣いてそれ以来何度も辞める辞めると喚き散らすような人たちがマネージャーになっているわけですから。
そのマネージャーには、そらもう、大量の唾が返ってきますよw
不謹慎にもニヤニヤが止まりません。

マネージャーは、先輩として単に業務を教えるだけではなく、彼らの成長に責任を持たなければなりませんよね。
単なる先輩とはわけが違いますから、部下に好かれることばかり言ってはいられないのです。
それに、マネージャーに対して、「あなた(上司)がいかに無能か」を数十ページの資料にまとめてプレゼンしてくる部下が出てくるかもしれませんしねw
マネージャーは思うようにいかない部下とのコミュニケーションや、成果があがらない教育から、多くのことに気付かされるでしょう。
彼らを見て、かつての自分自身を発見することもあるでしょう。
他人に期待することに、どれほどのエネルギーが必要かに気付けるでしょう。
裏切られたとき、どんなに傷つくかを知るでしょう。
とにかく、教科書どおりになんていかないのよ・・・
だって、皆違うんだもの。にんげんだもの。
そして、相手が気付いて、行動が変わってくるのには、めちゃくちゃ時間かかるのよ。
「マネージャーの皆さん、あなた方も約10年かかりましたよ」と、僕は言いたいw

ちなみに、僕はアパレルで働いていた21歳の頃に、初めて部下ができました。
部下とは何か?上司とは?と考えて、そのときに手にとった本が『上司が「鬼」とならねば部下は動かず』でしたw
令和の今、部下からは大批判されるような内容の本だと思います。
でも、当時の僕にとって、「良い上司とは、必ずしも部下に人気がある上司ではない」と知る機会となりましたし、21歳という若さでそれを知ることができてすごく良かったです。
ちなみに、当時、部下からは怖がられていましたし、めちゃくちゃ嫌われていました(涙)

まぁ・・・

全国のマネージャーの皆さん、部下の育成、とにかく楽しんでください!
試行錯誤して、マネージャー同士で愚痴って、色々と共感してみてください。
部下を見て、イライラしたら、それはあなた自身がやってきたことですw
ぜひ、温かい目で見て、かわいがってあげてください。
でも、部下の良い点を発見したら、それはあなたも持っているモノですよ♪

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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