このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「知ったほうが幸せなのか?それとも・・・」
僕は、四半世紀以上にわたって、毎年、気付かないふりをして過ごしてきたことがあります。
でも、結局、毎年それに気付かされちゃうんですが。
それは・・・
花粉(涙)
僕は年中鼻炎なんですが、この時期は、鼻の奥がズーンと重たくなって、頭も痛くなります。
眼球を取り出してシーブリーズシャンプーで洗いたくなりますし、肌もガサガサになり、口呼吸が加速して喉もカラカラです。
花粉はともかく、人には「気付きたくないこと」ってありそうですね。
例えば・・・
運ばれてきたラーメンに店員さんの親指が入っていた、とか。
両思いだと思っていた恋人が浮気していた、とか。
ウンコ(大腸菌)はトイレットペーパーを突き抜けてくる、とか。
顔には顔ダニが生息している、とか。
こうしたことって、もしかしたら、知らないほうが幸せだったことなのかもしれません?
でも、その中には、知ることができて結果よかった、ってのもありますよね。
恋人の浮気とか、いかがです?辛いけど、知れて良かったってなりませんかね。
ウンコの大腸菌もそうですよね。震えてきますよねw
ところで、人を採用するときに、候補者の入社後3年程度の未来がうっすらと見ることができたら?
これは気付けて良かった、知って良かったことになるのでしょうか?
すぐに辞める未来、おとなしく仕事している未来、やたら反抗的な態度をとっている未来が見えたとして、我々はどの人を採用すべきなんでしょう?
おとなしく仕事をしている人が良さそうですが、4年目に反旗を翻す可能性だってあるわけです。
入社すぐに辞める未来が見えた人も、その未来を知っているからこそ、できることもありそうですよね。
やたらに反抗的な人も3年は続いているわけで、もしかすると将来の中核人材になってくれるかもしれません。
僕だけかもしれませんが、こうした未来が見えたとしても、人ってそのときの自分の決断を信じる傾向にありませんかね?
自分の考えを肯定するために、都合の良い情報を集める「確証バイアス」って誰しもありますからね。
「こうした方が良いよ」って先人たちがアドバイスしてくれても、聞く耳持たないですからね(苦笑)
あ、思い出したんですが・・・
フィリピンでビールを飲んでたら、ジョッキからゴキブリが出てきたことありましたが、これは気付けてよかったのでしょうか?
気付かず飲んじゃってたら、普通のビールなわけです。多分、お腹も壊さなかったと思います。
気付かずビールを満喫していた方が幸せだったのか?
気付けて気持ち悪くなったのがよかったのか?
ビールは半分くらい飲んでましたけど・・・
僕:おいおい、ゴキブリ入ってるやん!
スタッフA:ぎゃー!(←いや、こっちの反応やろ…)
スタッフB:入るはずがありません。だって、洗ったジョッキを冷蔵庫に入れていますからッ!(キリッ)
スタッフC:新しいの持ってきましょうか?
「大変申し訳ございません」は彼らから聞くことはできませんでしたが、怒ってはいけません。
「言い訳が多い」、これがフィリピンなんです。
こんな国だと知ってもなお、暮らしてみたい、働いてみたいと思われる方、アンガーマネジメントの達人になるつもりで行ってみましょうw
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。