その201「『宝くじが当たったらどうする?』って考えてしまう人たち←僕…」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「『宝くじが当たったらどうする?』って考えてしまう人たち←僕…」

宝くじが当たったら、どうしよう?

誰もが一度はそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
かくいう僕も、会社が倒産寸前だった頃、一発逆転を願って(わらをもすがる思いで)、宝くじを買ったことがありました。
「借金を返済して、残ったお金で何を買うか♪」と考えて、にっちもさっちもいかない、八方塞がりだった状況の中でも妙に前向きになれたことを思い出します。
もちろん、宝くじは当たりもかすりもしませんでしたが・・・現実は残酷ですね。
まぁ、つまり、絶望ですよ(苦笑)
でも、「宝くじが当たったら、どうしよう?」と考えているそのときは確かにワクワクしました。
現実逃避していただけですけど・・・(涙)
妄想していたとき、本当にお金があると錯覚してたのでしょうね。(脳は現実と妄想の区別がつかないらしいですから)

考えてみたら、人間って、実現していないことにワクワクして、それが叶わないと、勝手にガッカリして、不思議ですよね。
でも、だからこそ、こうして発展もしてきたのかもしれません。
例えば、ビジョンを抱いて、実現してもいないことにワクワクして、ときには無謀にもそこを目指していったりするわけじゃないですか。
世界中の人が、それぞれにビジョン(理想)を抱いて行動すれば、そりゃあ、変わっていきますよね。

まぁ、つまり・・・皆、「宝くじが当たったら、どうしよう?」みたいなことを考えちゃってるわけですよ!w

古典落語の名作『芝浜』は、さっきまで確かにあったはずのお金が消えてしまって、改心して真面目に働き、そこからいくつかの教訓を得るといういい話なんですが、僕みたいな宝くじで妄想する人は、芝浜の主人公のように改心できるのでしょうか?
当時の僕は、運良く経営危機を脱することができましたが、それ以降も金銭(財務)的な問題がある度に、宝くじのような一発逆転を妄想しているんですよねぇ・・・
落語『芝浜』のように、ひょんなことから手に入ったお金は、『芝浜』の主人公のようにどんちゃん騒ぎして使ってしまうのでしょうか?
ちなみに、宝くじの当選を妄想していたとき、妄想の中の僕は高級車や良いマンションを買っていましたね・・・つまり、どんちゃん騒ぎしちゃいますね(汗)
最近の僕なんて、宝くじを買うことすら妄想ですからね。
買ってすらいないんだから、どう考えても当選しないはずなのに、何を買うか考えているんですよ!
頭がおかしくなっちゃったのかな・・・

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから