その225「ギャップを埋めるか、それとも広げるか」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「ギャップを埋めるか、それとも広げるか」

先日、『彫刻の森美術館』に行ってきました。
夏の青空、暑かったですが、すごい気持ちよかったです。
時間が無くて色々回ることはできなかったのですが、外国人観光客もすごく多くて、感覚的に三分の一くらいが外国人でした。
やはり中国人観光客が多く、中には問題になっている「白タク」を利用している?!方々もいらっしゃいました。

田舎や観光地は、タクシーが不足していますから、ライドシェアサービスが欲しくなる気持ちもわかります。
もちろん、バスもありますが、バス停の場所、路線、乗り方(支払い方法)など、海外の方にとって利用ハードルは低くありません。僕も不慣れな海外でバスに乗るときは緊張しますからね。
かといって、異国の地で車をレンタルして、運転するのはさすがに神経を使います。何かあったら大変ですから。
一方で、同朋が提供する白タクは、そんな観光客の不安やストレスを無くしてくれますし、選ばない理由はありません。

地方の町に出張に行くと、タクシーひとつとってもすごい困ります。
駅にタクシー乗り場があっても、肝心のタクシーがいなかったり…
運賃のアプリ決済ができなかったり…
アプリで車を探すも、対応エリア外で使えなかったり…
電話で送迎を頼むと「その時間はもう予約でいっぱいです」となったり…
こういうのって、昔は都心部であろうが地方都市であろが、どこも同じだったのかもしれませんが、ソフトの部分で都心部と田舎でギャップがかなりありますよね。
色々とストレスを感じてしまいました。
かつて、ホリエモンが、「鎌倉と六本木では時間の流れが違う」と話していたそうですが、その気持ちはわかります。

一方で、都会のスピード感に合わせるのではなく、あえてさらに時間の流れをゆっくりさせ、不便にさせることで、唯一無二の価値を創り出すこともできそうです。
実際、携帯の電波も届かない、電気もない、たどり着く手段も限られている秘境の宿みたいなところが、外国人観光客にも大人気というのがあるそうですしね。
インフラを整備して、便利にするために多額の投資を行うよりも、そのまま田舎の不便さを活かして価値を生み出せるって面白いですよね。
ギャップがあって、そこに価値を感じる人がいるわけで。
それを埋めてしまったら、コモディティ化してしまうのかもしれませんね。
中途半端な田舎ってどこにでもありますから。

一方、都心部の企業をお客様として仕事をする場合、彼らのビジネススピードに合わせる必要がでてきますよね。
こちらも上手く改善できたら、都心部から仕事をとってこれますから、ビジネスチャンスは広がりますね。

自社がどんなギャップを創り出せるのか?
どんなギャップに関わる場所にいるのか?
ギャップを埋めるために改善すべきか?
それともギャップをさらに大きくすべきか?
考えてみると面白いかもしれませんね。

そう言えば・・・

『彫刻の森美術館』の駐車場でのできごとです。
日本人が運転する車が駐車場警備のスタッフに従って、地下駐車場へのスロープを降ろうゆっくりと前に進むと・・・
白タクでしょうか、中国人が運転するBMWが駐車場のスロープをいきなりバックで逆走してきたんです!
ヌッと現れたBMWに思いっきりぶつかっていました・・・
もうね、あれは、不可避ですよ(汗)
さっき下に降りていった車が何を思ったか突然バックで戻って来たわけですからね、警備スタッフもびっくりですよ。
僕はぶつかった車の後ろに並んでいましたが、もう、理解不能でした・・・
1台前だったら、僕がぶつかっていましたから、運が良かったです。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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