その228「知ってしまった便利を手放せないという話から、昔の人ってすごいねという話」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「知ってしまった便利を手放せないという話から、昔の人ってすごいねという話」

 

「実はメールが使えないんです…」

先日、金融機関(銀行)の方とやり取りしていると、こんなふうに言われました。
必要書類や身分証のコピーなど、電話口でいくつかリクエストされたのですが、「メールで送ってください。経理に伝えて、必要なものを準備してもらいますので。」というやり取りがありました。
ところが、メールが使えないのだとか・・・
それで、「SMSなら…」と言われました。
どうやら、メールアドレスは持っていて、こちらからメッセージを送る分にはOKだけど、返信(送信)ができないようですね。
銀行員とのやり取りにメールを使いたいのに、使えない、なぜなんだ!?というのは、昔から言われていますね。
メールやチャットで済むようなことでも、「取りに伺います」って言われて、対応しないといけませんから、こちらも困ります。

不便と言えば・・

メールやチャット、電子決済など、一度知ってしまった便利を手放すのって本当に苦痛ですよね。
カーシェア、ライドシェア、フードデリバリー、モバイルオーダーなども本当に便利です。
こういうことに気付かなかったら不便って思わなかったでしょうね。

現在、海外ではスマホの地図アプリを使いますし、主要都市部ではUBERやGrabといったライドシェアを使って移動します。
それがなかった頃、どんな風に移動していたのか?って思いますよ。
それどころか、スマホが無かったころ、どんな風に旅をしていたのでしょうか!?
20年近く前、海外に行ったときには、地図片手にウロウロして、タクシーに乗ればメーター使わずにぼられ、半分勘でバスに乗ってみたりね。ちょっとした冒険でした。
そもそも、地図がなく、タクシーなどの交通サービスが無かったころはどうしていたのでしょうか?
一度知ってしまった便利って、無かった頃を想像できませんね。
そんなサービス・製品を作れたら最高ですよね。
AI関連のサービスなんかが、確実に次の便利でしょうね。
これはもう、絶対に手放せなくなりますよ。

ところで、海外といえば、幕末の侍たちがスフィンクスを前に記念撮影した写真を見たことがありますが、そんな昔にすごいですよね。
今の便利の全てが無いわけですからね。
日本って島国だから、海を超えないと新しい世界が見られません。
遣唐使とか、かつての日本人たちは、危険な海を超えて、ほとんど情報の無い新しい世界を見に行ったわけです。
日本人は保守的だ、おとなしいと言われますが、当時の彼らの好奇心と向学心、行動力はすごいですよね。
四六時中スマホでゲームしてゴロゴロしている自分にうんざりですよ。
ソファの上が僕の世界の全てになっていますから・・・

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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