このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「歳をとったら、憂国の士になっていた」
最近、「歳をとったなぁ…」と実感することが増えてきました。
20年も会社をやっていたら、20年歳をとるわけで、当然なんですけども。
例えば、身体が思うように動かず段差で躓くことが増えたり、寝ても疲れがとれなかったり、物忘れがひどくなってきたり・・・書いているだけでも嫌になってきますね(涙)
こうした身体の機能不全!?以外に、「歳をとった」と実感することってありませんか?
僕はある変化を自分の中に感じて、少し驚いています。
それは・・・
「日本人」という意識が強烈に芽生えてきたことです!
そのためでしょうか・・・
皇族関連の動画で天皇皇后両陛下のお気遣いにふれるニュースなんかを見ると、ジーンと感動しちゃうんですよねぇ。
このお盆には、何気なくYOUTUBEで見た特攻隊の番組で涙が溢れてきました。
石原慎太郎都知事が毅然とした態度で発言する姿を見ては、「かくあるべきだよな」と思ったり。
・・・加齢、関係ありませんかね!?
なんなんでしょう、この変化。
ちょいちょい憂国の士みたいになっているんです。
今まで全く興味がなかったことでも、加齢とともになぜか自然と興味がわいてきたりするのでしょうかね?
例えば、僕は「駅伝」や「紅白歌合戦」、「24時間テレビ」に全く興味がありませんが、あと数年もすれば興味がわいてくるのでしょうか?
こういう加齢による変化、僕だけのものでなく、ある程度の規模で起こっていたとしたら、それはビジネスになりますよね。
加齢による身体機能の変化(衰え)は、すでに医療や飲食、建築などあらゆる分野でビジネスとして成り立っているわけですしね。
以前、会社の懇親会で、「おっさんになると大葉が好きになるんですよぉ」と弊社のマネージャー(おっさん)が話していました。
実は、僕もその例に漏れず、大葉大好きおっさんなんです。
となると、おっさんをターゲットにした居酒屋に大葉は必須ですよね。
しそ焼酎の水割りにたっぷり大葉を入れてみたり、刺し身のつまの大葉を3倍にしたり・・・
加齢による味覚の変化は、味蕾の減少が原因と言われていますね。
ある種の味覚障害で、味が濃い食べ物を好むようになる、と。
これらは加齢による身体の機能不全の一種ですが、冒頭でシェアさせていただいたような志向の変化みたいなもの感じることはありませんか?
これ、考え方によっては、「自分自身が今後、どんなことに興味や関心を持つのか?」ということですから、ちょっと楽しみでもありますね。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。