その237「自己紹介の達人になろう」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「自己紹介の達人になろう」

 

先日、弊社にフィリピン人ハーフの方が入社してくれました。
弊社はフィリピンに子会社があるので、フィリピンにゆかりのある方や、英語が話せる方からの求人エントリーがあったりします。
彼女は、幼少期をフィリピンで過ごしていたので、タガログ語、英語、そして日本語が堪能とのこと。
彼女の自己紹介するとき、弊社のスタッフが「英語で自己紹介してみて!」と言い出したんですよ。
正直、「うわぁ、言っちゃったよ・・・(苦笑)」って感じでした。
外国人を観て、「わー、外人だ!外人ッ!」と騒いでいた、幼少期の自分を思い出しましたよ。
「英語で自己紹介してみて!」とリクエストしたスタッフは僕と同じ昭和の生まれなので、その発想になっちゃったかもしれません・・・(涙)なんか、ごめんね。

英語での自己紹介なんて、そんな珍しいですかね?
僕なんて、オンライン英会話で自己紹介ばっかりしていたので、それだけはすごい得意ですけどね。
ただ、普通の会話が全くできません。
だって、僕はコミュ障の上に、英語が全然聞き取れませんからね。何言ってるか全くわからないんですよ(ドヤァ)

ところで、自己紹介って結構大事ですよね。
ビジネス交流会なんかでは、大勢の前で簡単な自己紹介をすることがありますが、印象に残る人と残らない人っていますからね。
自己紹介後、「◯◯の人」としっかり記憶されるかどうか?
超大手に勤めている方は、勤務先を自己紹介で言いますから、例えば、「マイクロソフトの人」って覚えられたりするわけです。
マイクロソフトは確かにインパクト大かもしれませんが、記憶にとどまるためには、もう一声ほしいところです。
例えば、「猫が大好きで家に5匹居る、マイクロソフトの人」とかって記憶されるように。
一気に記憶に定着しますよね。

自己紹介では、フックになるような要素をいくつか入れて、30秒程度で伝えられるようにすると良いですね。
しっかり自己紹介できる時間があるとは限りませんしね。名刺交換のときにササッとできる程度が良いですよね。
僕の場合は、
・ブランディングの会社を20年経営している
・フィリピンに移住して、ITアウトソーシングの会社を立ち上げた
・趣味で格闘技をやっている
・ピンクの頭
のような要素を組み合わせて自己紹介していますが、大勢の中でも埋もれにくいので割と覚えてもらえます。

ちなみに、フィリピン人向けの自己紹介で、「好きなフィリピン料理はJollibeeとTender Juicyです」と言うと、一気に距離が縮まります。
Tender juicyというところがポイントですね。これを出してくる日本人はほとんどいませんから。
ぜひ、フィリピンパブで試してみてくださいw


 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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