その251「経営計画発表をしたが・・・なぜかホストクラブの話で終わった」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「経営計画発表をしたが・・・なぜかホストクラブの話で終わった」

 

先日、第22期の経営計画発表会がありました。
冒頭、社長が「営業担当者が期末最終日に目標達成することができました!」と皆の前で報告していました。
僕はそれを聞いて、「最近、ローランドが経営するホストクラブのドキュメンタリーを見ているんだけど、売上を発表されるホストの姿を思い出しました。」と無邪気にフィードバックするというコミュ障の本領を発揮してしまい、微妙な空気を創り経営計画発表会が始まりました。

ホストクラブのドキュメンタリーというのは、元ホストで実業家のローランドが経営するホストクラブで起こるゴタゴタ!?を配信しているYOUTUBE番組のことです。
経営者の端くれとして見ていると、「こういうのは普通の会社でもあるよねぇ」「自社でこんなことが起こっていなくて良かったなぁ」みたいな見方になって、止められません。
ホストの個性が分かりやすく際立っている(強調されている)から、普通のことでも妙にドラマチックになるんですよ。
例えば、単に面接しているシーンでも、面接官はホストで求職者はホスト志望の方です。その絵面だけでも普通の会社とは違いますから面白いんですよね。

経営計画発表会が終わり、その日の懇親会でのできごとです。
アルバイトの女性が僕に話しかけてきました。
「ローランドのやつ、見ているんですか?私も見ています…」と。
普段、業務で関わりがないので、僕とは面接や研修で話した程度の関係性です。
小さい会社とは言え、僕は代表取締役会長ですからアルバイトさんとの距離はあったでしょう。
彼女は「ローランドのホストクラブのお話がしたいです」と。
え、そっち!?
どうしてもそのお話がしたかったそうで、懇親会で隣の席に座ってきました。
経営計画発表会の冒頭で、僕がローランドの話題に触れたので、それから気になってしょうがなかったのだとか・・・(経営計画、聞いてないやんけ(苦笑))
ホストクラブに行ってみたいけど、一人では勇気がなくて行けずに推しのホストのライブチャットを見ているのだとか。
女性役員も交えてホストクラブの話でひと盛り上がりし、「会社の経費で連れて行ってください」と大胆にもリクエストしてきました。

丁度その日、役員向けのチャットに、「十数年前に経営の師匠から教わった言葉です」と下記の言葉を共有していました。

経営の技術とは、お客様に役立つために必要なコストだけを選択する技術。

・・・うん、ホストクラブではないね。

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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