その254「嫌いなコト・モノを避け続けるとどうなるのか?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「嫌いなコト・モノを避け続けるとどうなるのか?」

 

20歳の頃、大学を辞めてアパレル会社に就職しました。
地元を離れて他県に住み始めたからか、風邪を引いて高熱が出てしまいました。
そのため休むことを伝えると、社長からびっくりするほど怒られました。
「てめー、ふざけんなよッ!(胸ぐらグイッ)」のレベルですw
当時、若いながらも店長として大きな店舗を任されていましたから、急に休めば多くの人に迷惑をかけてしまいます。
そうしたことも頭になく自分のことばかり。
そんな学生気分、アルバイト気分の抜けきらない僕に一喝という感じでしたね。
反省した僕はそれ以来、体調で誰かに迷惑をかけることもほとんど無くなりました。

ところが、世の中そうした教訓を得る機会がなかった人や、あったとしても何も気づかなかった人も多くいるわけです。
だからか、「咳が出る」「頭が痛い」「腹痛が…」と急に休む僕と同世代のアラフィフおじさんを見るとなんとも言えない気持ちになります。
それが社員さんだったら、休んだ日の予定を見ると、「あぁ、きっとこのおじさん、この予定に参加するのが嫌だったんだろうなぁ・・・」って透けて見えちゃったりするわけです。
素直ではありますよね(汗)
ただ、その手口自体は小学生のそれと変わらないのですが・・・

例えば、自分が「嫌だな」ってちょっとでも思うことをひたすら避け続けると人生はどうなるのでしょうか?
僕はキャロットグラッセが嫌いです。
食べ物の好き嫌いは少ないので別に食べられますが、キャロットグラッセの味は好きじゃないので残します。
こういう小さい嫌から大きい嫌まで全て避ける人生をおくるわけです。
キャロットグラッセが好きな人もいるので、「食べないのなら私が食べるよ」という人もいるでしょう。
これと同じ様に、「自分の嫌い」が「他人の好き」ってケースがありますね。もちろんその逆も。
そして、「大好きまでいかないけど、対価(お金など)を貰えるのならある程度代わりにやるよ」のように生まれたのが仕事なのかもしれません。
だとしたら、対価次第で人は結構な無理をするのでしょうか?
僕の代わりにキャロットグラッセを食べる人に僕はいくら払うのでしょうか?

人の好き嫌いって様々で面白いですね。
牡蠣が好きな人がいれば、牡蠣が嫌いな人やアレルギーを持っている人もいるわけです。
極端な話ですが、牡蠣しか食べるものが無くなったら、後者は生き残れませんよね。
そう考えると、好き嫌いがあるというのは、あらゆる変化に対応していくために人類が備えてきた多様性なのかもしれませんね。
アラフィフおじさんもきっと何か生き残るために、会社の業務に対して好き嫌いがあるのかもしれません。
ただ、「会議が嫌だから」という理由で無断で休んでしまうと、業務命令違反になり得ますから注意が必要ですね。

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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