このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「『思考の外注化』の行く末」
最近の僕の仕事スタイルをちょっと暴露すると・・・
まず、AIに聞く。
次に、AIに案を出してもらう。
で、その中から使えそうなものを選んで、またAIに深掘りしてもらう。
・・・という、
なんともAI任せな日々を過ごしています。
するとですね、気づいたんです。
「あれ、僕、あんまり考えてなくない?」って。
これは「思考の外注」と言えますが、便利なんです。ほんとに。
なんでもすぐ出してくれますしね。
でも、代わりに何かを失ってる気がするんですよねぇ・・・
それは“思考力”とか“集中力”とか“創造力”とか、そういういつの時代にも大切と言われてきたものばかりです。
「AIに任せる」って、言い方を変えれば「自分の脳をサボらせる」ってことなんですよね。
ちょっとずつ、静かに、脳の筋力が落ちていってるのを実感します。
このままだと、そのうち書店の棚に並びそうですよ。
『考え方がわからないあなたへ』
『5分で思考力を取り戻す方法』
『思考できない時代にどう生きるか』
・・・ちょっと売れそうで怖いですよ。
そうなってくると、「考える」って行為そのものが、ちょっと宗教っぽいというか、哲学っぽい領域になっていく気もするんですよね。
でも、考えてみれば宗教や哲学なんて紀元前からありますし、きっと人間には必要な機能なんだと思います。
じゃあ、この先どうなっていくのか。
たとえば100年後、AIが政治を動かし、経済を管理し、教育も裁判も全部やってくれてるとしたら?
働かなくても生活できて、移動も自動、衣食住は最適化、娯楽すらAIが提案・提供してくれる。
そんな時代に、僕たちは何を考えるのでしょう?
何をして暮らすんでしょう?
多くの人にとって、「働く」という行為が、生活のためじゃなくなりそうですよね。
そうなると、「誰かのために役立ちたい」という気持ちで動くようになるのでしょうか?
もしそうだとしたら、「労働」は「勤労」に近づいていくんでしょうね。
“収入”じゃなく“意味”を求めて動く、そういう行為。
そんなことを考えていて、ふと思い出したのが、『ビジョン心理学』で出てくる「相互依存」という考え方です。
依存でも自立でもなく、お互いに頼り頼られながら高め合う関係。
人と人との関係で言えば、上司と部下とか、家族やパートナーの間でこの関係を築くことができると理想的と言われます。
で、ふと思うわけですよ。
AIとも、そういう関係って築けるのかなって。
僕がAIを頼ると、ちゃんと返してくれる。
ときには想像以上の答えをくれることもある。
もしも、こっちが「頼ってる」だけじゃなくて、向こうからも「あなたの意見を聞きたい」とか「あなたの補足で精度が上がりました」とか、そんな言葉が返ってきたとしたら?
これはもう、「相互依存」が始まっていると言ってもいいですよ。
人とAIがいい距離感で共に在る未来って、そんなに悪くないかもしれません。
そんなことを考えながら、僕は未だ「労働」を続けています。
(「この文章のオチをどうしようか?」ってAIに聞いてみようか迷っています・・・)
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。