その184「苦手なことから逃げちゃダメなのか!?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「苦手なことから逃げちゃダメなのか!?」

アニメ『エヴァンゲリオン』の主人公碇シンジ君のセリフに「逃げちゃダメだ」と連呼するのがありました。
彼は、謎の施設に連れてこられて、3年ぶりに再会することになる父から、「(謎のロボットに)乗れ!」って言われるんです・・・
苦手とか、それ以前のレベルですけどね(汗)

そもそも、「苦手なことをやる」のが好きって人はいませんよね?
碇シンジ君は作中で音楽をよく聴いていて、なんとチェロも弾けます!
きっと音楽は嫌いじゃないんでしょう。
なので、碇ゲンドウのセリフが「(チェロを)弾け!」だったら、「逃げちゃダメだ」を連呼する名シーンは生まれなかったかもしれませんね。
お父さんの前でそつなく演奏して終わる、みたいな。

苦手と言えば・・・
僕は趣味で格闘技をしていますが、実は殴り合いとか怖くて嫌いなんです。
ずっと逃げ回って、遠くからペチペチやってる方が好きで、足を止めて至近距離で殴り合うのは大の苦手です。
「いつまでも苦手ってのもなぁ…」と、たまに挑戦しますが、何度やっても、ボッコボコにされて終わります。
どんなに練習しても上達しないんです・・・涙
一方で、逃げるのは結構上手になってきてね♪(ドヤァ)
後ろにすごい勢いで下がれるようになって、まるでエビみたいですよ!
逃げるの、嫌いじゃないんでしょうねぇ。(格闘技やってるのに逃げるのが得意って…)

で、思ったんですが、苦手なことを改善するために時間をかけるって無駄と言うか・・・辛いですよね?
なかなか上達しないし、その期間中「あぁ、私ってやっぱり無能だわ(涙)」って、感じ続けることになりますからね。
それなら、苦手なことから逃げて、得意なことをやっていた方がよっぽど人生幸せですよ。
そんな人生じゃダメなんでしょうか?
苦手なことから逃げちゃダメですかッ!
誰かの苦手が、誰かの得意だったりするわけで、全体で見ればそんなに困らない気がするんですけどね。
そもそもビジネスってそれで成り立ってますから。
例えば、世界中の人が一斉に、苦手なことから逃げはじめたらどうなりますかね?
そしたら、皆さん、何から逃げますか?

僕は、モノをどこかに仕舞う、管理することがめちゃくちゃ苦手です。
整理整頓が得意な人って居るわけですから、助けてもらうことは可能ですよね。
そして、僕みたいな人が一定数いたら、これはビジネスになり得るわけです。

ところで、冒頭の碇シンジ君ですが、エヴァンゲリオンのパイロットとしては、いわゆる天才!?でした。
そう、実は「苦手」ってわけじゃなかったんですよ!
こんな風に、「やってみたら、案外できた!」ってこともあるかもしれませんね。
まぁ、僕は整理整頓できなくてモノを無くすし、殴り合いは上手くなりませんから、そこに才能のかけらすら無さそうなんですけども・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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