このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『ニッポン無責任時代』の一生懸命な無責任。
植木等が主演する無責任シリーズの第1作。1962年といえば、私が生まれた年であり、日本が高度経済成長期へと突入した時代である。満員電車に乗り、徹夜徹夜で働くことも、戦後復興と相まって礼賛された時代だ。
そんな中でモーレツに働くのにも限度がある。人間、寝なきゃ倒れるし、楽しくなけりゃ病気にもなる。というわけで、クレイジーキャッツが歌うナンセンスソング『スーダラ節』が大ヒットを記録。この歌をもとに映画が作れないかと企画されたのが『ニッポン無責任時代』なのである。
会社中心に生きている人々の間で、植木等が演じる明るく要領のいい無責任男は絶大な支持を得て大ヒットを記録する。この後、シリーズ化され約10年の間に30作が作られた。
しかし、今から思えば、このシリーズが受け入れられたのは、会社人間に対するアンチテーゼというわけでもなさそうだ。なにしろ、この映画にはまじめに必死で働く「普通の社員」に対する悲哀はほとんど感じられない。どちらかといえば、植木等演じる主人公も、必死で無責任な仕事ぶりを披露しているからだ。しかも、その目的は気楽に効率よくサラリーマンをやろうぜ!というものであり、決してサラリーマンを否定するのものではないのだ。むしろ、必死で働くサラリーマンたち以上に知恵を絞り走り回りながら無責任男を演じているのだ。
仲間がいて、安定した収入があって、定年まで安泰に暮らせる。その部分のコンセスサスは社会全体が取れていたのである。ようはその目的のために、出来るだけ笑っていようよ、ということがこの作品のテーマとして浮かび上がってくる。
ということは、やはり生きていくために必要なのは、安心して働けるという基盤なのだということになる。それがなければ、どんなに仕事が楽になっても、時間的な余裕ができても、笑って生きることなんてできやしない。
ここらでひとつ、現代において、植木等演じる主人公のように生きるための方策を見つけようじゃないですか。そのヒントはこの映画の主人公が平均『たいら・ひとし)という名前だというところにあるのかもしれない。そこそこ稼いで、そこそこ頑張って、そこそこ面白い仕事をすることが、世の中の平均値になれば、もしかしたらなかなかに楽しい時代になるのかもしれない。
でも、そのためには、無責任を気取っても、本当の無責任になってはいけないんだ、というこの映画の主人公に今こそ見習う必要があるのかもしれない。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。