本日の斬り口:変えられないものは?
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拙者、囲炉裏を
ほぼ知らない。
火鉢は知っている。
火鉢は、大伯母が
使っており、
火鉢で両腕を支えながら
キセルを嗜んでいたので、
火鉢ダコ
になっていた。
火鉢ダコ
それは、
火鉢にあたり過ぎた人間が
どんどん火鉢の気を吸い込み
火鉢から離れられなくなり
いつの間にか、
タコのような
8本足でひょっとこ口の
妖怪になってしまう。
ということではない。
残念でござる。
タコ妖怪の大伯母がいたら
自慢できるのに。
火鉢ダコとは、
火鉢につけている
腕の皮膚が
赤黒く、かたーく
変容する様を指す。
まっ、赤黒く変色した
大伯母の腕のその部分だけは
本当にタコ化していたのかもしれない。
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大伯母のことを
思い出しても
火鉢は
1人であったまる
というイメージがある。
囲炉裏は、これに対し、
複数であったまる
というイメージがある。
つぎはぎされた、
綿半纏を着たおじいさんが
川魚を串にさし
遠火でやいている。
囲炉裏の中央には
吊るしカギ
があり、そこには
大抵大鍋で
湯がわかしてある。
すぐにお茶を飲んだり、
そのまま味噌鍋など
料理をすることができる。
囲炉裏のときは、
炭火だけでなく
薪火も使えるので
火力調整も自由自在だ。
半纏のおじいさんが
じっくり
ゆっくり
のんびり
と手間をかけ
シンプルだけど
旨味がある
料理を
ほい、できた
と言って、
渡してくれる。
それが拙者の
囲炉裏イメージ。
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囲炉裏のある家に
拙者は住み
生活したことがない。
拙者にとって囲炉裏とは
実体験ではない。
テレビ
絵本
映画
などによって
蓄積された
情報
にすぎない。
そして、囲炉裏のある
その世界は
物語性の高い
ファンタジー
でござる。
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もやは都会では
ファンタジー性が
強くなった、
囲炉裏を実現するには、
ガス
電気
よりも
むしろ
ぜいたく
である。
囲炉裏のある暮らしは
手間を買う
不便を買う
時間を買う
ことと同等だ。
これがほしくなっているとき
効率化に疲れている
のかもしれない。
手早く
便利に
素早く
という世界に
いま、生きているとしたら、
囲炉裏欲求度
が増してきたら
あなたは
疲れている
のかもしれない。
肉体や精神的疲労度は
囲炉裏欲求度で
測れる。と
拙者は断言するでござるよ。
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ってことで
囲炉裏とは、家屋の中に火の元を存在される
古代からの叡智の連なりを超え
囲炉裏とは
人間の何かを癒すエネルギー空間
でござる。
拙者、空海先生がつけた消えない炎ってやつを見たことがあるでござる、yo!
パンダ侍のプロフィール
あまりの弱さに
天敵に追われ、
争いを避けて、
しぶしぶ笹を食べ始める。
しだいに美味しく
感じれらるようになり、
肉食であるにもかかわらず、
肉をまずく感じるようになった
熊を先祖に持つ。
育ての先生の
気まぐれから、
こやつは笹薮から
世間に出してみよう
ということで、
草むらを転がり、
川のせせらぎをまたぎ、
欄干をスキップして、
東京に生息。
ある日、笹かまを食べ、
こ、これは笹ではない
と、その驚きで、ほっぺが落ち、
その衝撃で震えがとまらなくなり、
その震えから膝ががくっと落ちた、
その瞬間、
本質を見定めよ。
と天啓をうける。
それ以来、
本人の意思とは関係なく
白いしっぽが
陰陽太極図となり
白黒混ざり合う世の中で、
そもそもを斬ることになる。
腰に非常食の竹笹を
さしていたところ、
侍だったんですねー。
と、たまたま勘違いされ、
パンダ侍と
呼ばれるようになり、
現在に至る。
食べること、人間観察、木彫を修行とし、
愛と誠と調和、そしてユーモアを信条とし、
対話によって内発と創発を起こす現場づくりを得意とし、
中小企業の理念づくりやブランディング、新規事業開発を通じた組織変容、
また、経営者の自己変容セッションを生業にしている。
日本大学大学院藝術学研究科修士課程修了後、
企画・コンテンツ開発会社で企画ディレクションを経験後、2006年、株式会社つくるひとを創業。
売上高2億~7,700億円規模の組織、業種業態を問わず、創業以来780を超えるプロジェクトを経験。
10年間でのべ3万人の現場会議を中心に据え、対話型の課題解決に関わる。
現場プロジェクトメンバーの個人成長と集団組織の変容を
常に後押しするプロジェクト型のコンサルティングスタイルを貫き、「考え方」や「対話デザイン」を修得してもらいながら、実際の課題解決をすすめる。
幼いときは宇宙人、変人と、揶揄され、学校社会になじめないまま成長したが、実社会では「変人視点」が求められることが増え続け、重宝されている。
株式会社つくるひと 代表取締役
デキル。株式会社 代表取締役
一社)一般社団法人ビーイング・バリュー協会 理事/マスターコンサルタント