イノベーションカードが知らせる
本日の斬り口:絵にする
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手紙。
手紙ではないのだけれど、
向田邦子さんの作品で
字のないはがき
がある。
終戦時、学童疎開する
ことになった
向田邦子さんの妹の話だ。
向田邦子さんの
父親は
おびただしいはがき
に自分で自分宛の
宛名を書いた。
それを学童疎開する
自分の娘に
元気な日はマルを書いて
毎日一枚ずつポストに入れなさい。
と手渡した。
初めての葉書は、
はがきからはみだすほどの
赤鉛筆の大きな○。
だんだんと丸が小さくなり、
黒鉛筆の×になり、
はがきがこなくなった。
3か月目に、
母親が迎えにいくと、
百日せきに罹った妹さんは
しらみだらけの頭で
三畳の布団部屋に
寝かされていた
妹が帰ってきたとき、
父は痩せた娘の方を抱いて
声を上げて泣いた。
という話だ。
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まだ、字が書けない
娘と、連絡を撮り続けるために
父親が考えたしくみ。
このこと自体が、
手紙
を表しているように
拙者は感じる。
手紙は、そこに
記載されている
文字面を超えて
何か
を含み、そして
伝え届ける。
これはデジタルの
メールなどに打ち込む
テキストとは
大きく異なる。
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拙者、世を忍ぶ
仮の母親が
遺した手紙を
1通だけ持っている。
当時、入院していた
母親が書いて、
手渡してくれた手紙だ。
母親から
受け取った手紙は
この1通だけでござる。
この手紙を、
拙者は、誕生日を
迎えると読み返している。
毎年、読み返す
文章はもちろん
変わらない。
けれど、何か
文字にはなっていない
何かに気づく。
母親の手紙を通じて
自分に気づく。
手紙なのだが、
そこに自分が
映される。
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手紙には、
書かれている
内容を伝える
ことを超え、
書かれていないが
確実に保管されている
その場の空気
が染みてて
目でおい、
読む
という行為で
その保管されている
空気がいまに
溶け込んでくる。
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ってことで
手紙とは、連絡手段のひとつではない。
手紙とは
過去と未来といまが溶け合う媒体
でござる。
拙者、残念ながら手紙を書く機会は減っているでござるよ。
パンダ侍のプロフィール
あまりの弱さに
天敵に追われ、
争いを避けて、
しぶしぶ笹を食べ始める。
しだいに美味しく
感じれらるようになり、
肉食であるにもかかわらず、
肉をまずく感じるようになった
熊を先祖に持つ。
育ての先生の
気まぐれから、
こやつは笹薮から
世間に出してみよう
ということで、
草むらを転がり、
川のせせらぎをまたぎ、
欄干をスキップして、
東京に生息。
ある日、笹かまを食べ、
こ、これは笹ではない
と、その驚きで、ほっぺが落ち、
その衝撃で震えがとまらなくなり、
その震えから膝ががくっと落ちた、
その瞬間、
本質を見定めよ。
と天啓をうける。
それ以来、
本人の意思とは関係なく
白いしっぽが
陰陽太極図となり
白黒混ざり合う世の中で、
そもそもを斬ることになる。
腰に非常食の竹笹を
さしていたところ、
侍だったんですねー。
と、たまたま勘違いされ、
パンダ侍と
呼ばれるようになり、
現在に至る。
食べること、人間観察、木彫を修行とし、
愛と誠と調和、そしてユーモアを信条とし、
対話によって内発と創発を起こす現場づくりを得意とし、
中小企業の理念づくりやブランディング、新規事業開発を通じた組織変容、
また、経営者の自己変容セッションを生業にしている。
日本大学大学院藝術学研究科修士課程修了後、
企画・コンテンツ開発会社で企画ディレクションを経験後、2006年、株式会社つくるひとを創業。
売上高2億~7,700億円規模の組織、業種業態を問わず、創業以来780を超えるプロジェクトを経験。
10年間でのべ3万人の現場会議を中心に据え、対話型の課題解決に関わる。
現場プロジェクトメンバーの個人成長と集団組織の変容を
常に後押しするプロジェクト型のコンサルティングスタイルを貫き、「考え方」や「対話デザイン」を修得してもらいながら、実際の課題解決をすすめる。
幼いときは宇宙人、変人と、揶揄され、学校社会になじめないまま成長したが、実社会では「変人視点」が求められることが増え続け、重宝されている。
ツクリビト株式会社 代表取締役
デキル。株式会社 代表取締役
一社)一般社団法人ビーイング・バリュー協会 理事/マスターコンサルタント