こんにちは。安田佳生のゲリラマーケティング。ナビゲーターの栃尾江美です。
「好きなことをやる。その代わりに結果を出す」って安田さんがメルマガで仰っていた言葉ですが、私に落とし込むとバンドをやっていると必ずついて回る言葉ですが、この言葉を知らない人が多いように感じました。金子亜佑美です。
安田佳生です。
今回は40代経営者の方からご質問いただいています。安田さんに質問です。なぜあんなに面白いFacebookの記事や毎週内容が深くて面白いメルマガが書けるのですか?普通は1週間ぐらいでネタが尽きると思うのですが、内容が深くて面白い記事を書き続けられる秘訣を教えてください。ということです。
なるほど。
まさに私も知りたい。
金子さんもいつも面白いじゃないですか。
私は全然。
アバンコール?
アバンコールは、今日、もう、どうしようと思って来ました。
ネタ切れで?
うん、ネタ切れで。
たとえば猫とか好きな人が・・・金子さんの場合はアライグマでしたっけ?
わざとわざと(笑)
絶対わざとだこれ(笑)。ハムスターね。
ハムちゃんね。
はい。
ハムちゃんでしたっけ、名前?
オコゲとオタベです。(2匹います。)
オコゲとオタベが可愛いなと思うのって1種類じゃなくて色んな可愛さがあるじゃないですか。可愛さが尽きて全可愛さ飽きたみたいなことってあんまないと思うんですけど。
ないですね。
たとえがいまいちでしたけど(笑)。たとえば、じゃあ、アメリカ人が英語で何か喋るっていうときに英語が尽きることないじゃないですか。
うん、ないっすね。
その人が喋ってる限りは英語での会話になるわけで。それに近いんですよね。だから、何かしら、すごくいつも何かを深く突き詰めて言ってるっていうふうに、多少は考えてるんですけど、そう言っていただくとありがたいんですけど、多分、元々ちょっとズレてるんですよね、僕。
もともと?
つまり、アメリカ人が喋れば全部英語になるし、ハムスターだと何やっても可愛いんですよ。ちょっと悪いことをしても可愛く見えちゃうと。で、僕が何か書くとズレてるっていうことなんですよ。
あ~、なるほどね。素質。
それが他の人にとっては学びになったり新鮮だったり。
それが面白いって感じるんだってことであって。だんだんと生きてきて気づいてきたんですけど、そもそもそういう偏りとか歪みっていうのは良くないもんだっていうふうに言われて育つんですよね。この国では。
うん。
そうですね。
僕もだから人とは違って見えちゃうとか、みんなが当たり前にできることができないとかっていうのがすごく嫌だったんですけど、ある程度の年齢になってからですよ、そういうことに価値があるんだなっていうことが分かってきて、それで振り切ろうと。
そしたら普通の人が安田さんの真似をできないっていうことになりますか?
っていうか多分みんな偏ってんですよね、それぞれ。だから自分の偏りを修正しようとせずに、偏ったまま見れば良いんですよ、世の中を。たとえば厚切りジェイソンさんは外人から見た日本のおかしさみたいなことでネタ尽きるかっていったら、僕は尽きないと思うんですよね。彼が自分の偏ったものの見方を、彼はべつに偏ってないんですけどね、彼からすると日本が偏ってるわけなんで、ちゃんと正しい偏りを持ち続けてる限りはなくなんないと思うんですよね。
じゃあ私も天然ボケ直さなくていいですね。
全然直さなくていいですよ。
直さなくていいですよ、はい。
生きづらいですよね。
安田さんもネタがなかなか出ない日はないんですか?
ネタが出ないっていうか、書けない日はありますね。
どういう意味ですか?ネタが出ないわけじゃない?
うーん・・・何なんでしょうね。書けない日はあるけどネタが出ないっていう感じではないですね。何なんでしょうね。
140文字にピッタリのネタがないとか。やっぱり適してるネタってありますよね。私も毎日書いているのであれですけど、「これは結構すごい気づきなんだけど1行で終わっちゃうな」とかいうのもたまにあったり。
たしかに、そういうのもあるかもしれないですね。
逆に1,000文字ぐらいないと書けないなとか、伝わらないなとか。
コンテンツによって違う。
内容によって違うっていうのはあります。
そういうときって・・・なんか・・・やっぱり、自分が自分じゃなくなってるっていうか、感度が落ちてるっていうのはあるかもしれないですね。
書けない日はっていうことですか?
書けない日、というのは?
ちょっと疲れてるとか?
生理みたいなもんですか?
女性の?
うん
分かんないでしょ。「そうですね」って言えないと思う、安田さん(笑)
なんかね、書けない日は自分が書いていることがバカバカしく思えてくるんですよ。ノッてるときは「ああ、俺はなかなか良いこと言ってるな」って思うんですけど、同じように書いてるんですけど「バカじゃないかな、俺って」っていうふうに。
内容にってことですか?
内容に対して「ただの非常識な奴なんじゃなかろうか、自分は」っていうふうに、自分の偏りを疑い始めたらっていうか、そこに自信がなくなっちゃったら書けなくなっちゃいますね。
なるほどね。
それは書いてから自信がなくなるんですか?
いや、書きながら「こんなこと書いて何の意味があるんだろう?」みたいな。
へぇ~。
すごい思いますよ、それ!それ、思いますよ!!
思いますか?だから、サクサク書けたり、何か商品開発したり、アイデア出したり、自信があるときって、体調が良いっていうのもあるんですけど、自分の考え方とか存在に自信があって、「べつに誰に非常識と言われようが俺はこれが正しいと思う」っていう揺らぎのないものがあると書けるんですけど、それがなくなると「こんなのアイデアなんて言えないよな」みたいになってきちゃいますね。
私、自信がないときは、自信ないなりのウジウジしたやつを書きます。
素晴らしいですね。
そういうとこ良いですよね。
そうですか(笑)。最近何日かウジウジが連続してるな、みたいなのがあったりしますけど。
でも良いですよね。
でも、僕もやっぱりちゃんと定期的に作ってるもんがあるんで、書けないっつっても書かないといけないものがあるので書くんですけど、やっぱり自分で書いたものにすごい自信がなくて読み返したくないとか、「今回はつまらないものを書いてしまったな」みたいなときはありますよね。
そういうの、もう「えいや!」って配信するってことですか?
そうですね。それも含めて自分だというふうに言って。
なるほど。すごい、それ。
あ、そうそう、だから何が言いたいかというとですね、僕は基本的に人間ってみんな偏ってると思ってるんですよね。で、偏ってる部分が価値なんだと思ってんですよね。自分の中の偏りが何かのときにバランス取ろうとして「常識的に生きなくちゃ」っていう圧力がすごい生きてるとかかってくるんで、それによって自分の偏りが見えなくなったり自分の偏ってる所に自信がなくなっちゃったりするんですよね。そういうときに自分の本当の形を信じるというか、自分の偏りを愛するというか、それがすごく大事な気がしますね。だから分からないこととか、できないこととか、理解できないこととかがすごく大事なんですよ、多分、本当は。
じゃあ、この人もネタがないって思ってるのはそうではなくて、ネタはある?
ネタっていうのは誰かが驚いてくれるっていうことだと思うんですけど、そうじゃなくて、もうちょっと自分の素の眼で世の中を眺めてみると「なんかこれって変じゃないの?」とか「これっておかしいよね」っていうことは絶対出てくると思うんですよ。人間ってひとりひとり違うんで、「なんでこの人はこんな考え方するんだろうか?」とか「なんでこんなシステムになってんだろうか?」とか「なんでこんなに遠回りしなくちゃいけないんだろうか?」とか「こんなことやる意味あるんだろうか?」とか、例えば「中高で6年間英語を学んでも誰も英語が話せないっていう、意味あるんだろうか?」とか、そういう疑問をちゃんと素通りせずに立ち止まって考えるっていうことじゃないですかね。それを「ネタ」って呼ばないですけどね、僕は。「疑問」と呼んでますけど。
なるほど。
ということで、まとめを。
この方もご自身の偏りを大事にして、それを自信とか価値にして、そういう偏った眼で世の中を見て疑問を発生させれば、ネタというか、書き続けることはきっとできるでしょう、という感じですか?
はい。「あ、この人には世界がこう見えてんだ」っていうことが面白いっていうことだと思います。人は1人ひとり違うから他人が書くものが面白いんで、人と違う部分を大事にしようってことです。ということで本日は以上です。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
*本ぺージは、2017年11月29日、ポッドキャスト「安田佳生のゲリラマーケティング」において配信された内容です。
ポッドキャスト番組「安田佳生のゲリラマーケティング」は毎週水曜日配信中。