この対談について
国を動かす役人、官僚とは実際のところどんな人たちなのか。どんな仕事をし、どんなやりがいを、どんな辛さを感じるのか。そして、そんな特別な立場を捨て連続起業家となった理由とは?実は長年の安田佳生ファンだったという酒井秀夫さんの頭の中を探ります。
第3回 国を動かすより楽しい仕事
第3回 国を動かすより楽しい仕事
現在の酒井さんは会社をいくつも経営されているわけですが、官僚を辞めてすぐ起業されたんですか?
いや、最初は普通に就職しましたね。外資のコンサルティング会社に。
なぜコンサルティング会社に入ろうと?
本当は事業会社に行きたかったんですけどね。でも、リクルートの転職エージェントさんに言われたんです。「事業会社は20代の元官僚をどう扱っていいかわからないだろう」って(笑)。
なるほど、そうかもしれませんね。
もう一つ、経営者になりたいならコンサル会社で学ぶのがいい、と言われたもの大きかったですね。
ああ、確かに。事業会社で現場に配属されて、それで経営が学べるかというとなかなか厳しいものがある。
仰る通りです。仮に飲食会社の社長を目指すとして、現場で皿洗いばかりしていて偉くなれるかといったらそうじゃない。
確かに。それでひとまずコンサル会社でビジネス全般のことを学ぼうと。結果的には学べたんですか?
そうですね。学べました。その中で「ああ、やっぱり自分は経営者をやりたいんだな」と。
コンサルも経営に関わる仕事ですが、それでは満足できなかった。
コンサルが自由に経営できるわけじゃないですからね。自分のやりたい経営をするためには、やっぱり自分が責任を負う立場にならないといけないなと。
つまり実業をやりたいということですね。それでどうされたんですか?
2年ほどで事業会社に転職しまして。入って3ヶ月ほどである会社の買収話が出て、その意思決定を自分がする形で取締役になりました。
えっ。初の事業会社なのに、入って3ヶ月で取締役になったということですか?
私が入った会社というのが、当時は珍しい持株会社だったんですよね。入る時点で私も「将来は社長をやってみたい」と言っていて、自分を誘ってくれた代表の方も「うちは会社たくさんあるからすぐ社長になれるよ」というような。
なるほど、そういうことなんですね。最初に社長になったその会社は、どんな会社だったんですか?
九州の大分県にあるITシステム開発の会社でした。
なるほど、オフショアじゃなくニアショアというやつですね。海外じゃなく国内のローカルで、という。
まさにそうです。その社長を5年間やりまして。一応業績もV字回復させることができました。
すごいですね。ちなみに具体的に売上をいくらからいくらまで上げたんですか?
6億から25億くらいですかね。
すごいですね。でもお話によると、その会社も辞めてしまうわけですよね。なぜだったんですか?
一言で言えば、やっぱり株主じゃないとやりたいことはできないな、と。社長という肩書ではあっても、上場会社の子会社ですから。何かをするには親会社の役員会を通さなきゃいけない。
それはそうですよね。オーナーじゃないとやりたいようにはできない。
あと、これは半分ネタで言うんですが、当時社員が250名くらいいたんですが、そうすると私の仕事って、極論すると始末書を書くとかお客さんに謝りに行くとか、そういう事ばかりになるんですよ。
ああ、なるほど(笑)。よくわかります。
誰それがパソコンをなくしました、始末書書いてください。誰それがトラブル起こしました、謝りに言ってください、というような。中には訴訟問題とかもあったりして。
これが自分のやりたい仕事なんだろうか……という(笑)。
そうなんです。自分、後始末ばかりしてるなあと。だから、これは安田さんの思想にも通じる部分だと思いますが、人を雇うことにちょっと疲れちゃったんですよね。それで一旦1人になろうと。
それが何歳くらいの時なんですか?
38歳の時かな。結婚して2〜3年だったと思うので。許してくれた妻には感謝しかありません(笑)。
そうですよね。一般にそれくらいの年齢の方は転職しないって言われてますもんね。いわゆる「嫁ブロック」というのがかかって。
まあでも、「チャレンジするなら私にちゃんとプレゼンして通せ」って言われました。あなたVCの株主ですか?なんて思いましたけど(笑)。
すごいですね。ともあれ1人で事業を始められたと。どんな事業だったんですか?
最初の1年くらいは細々とコンサルティングのようなことをしてましたね。過去の知り合いのお手伝いをするような感じで。
コンサル業は、仕事さえ取れればなかなか快適な人生だと言われてますけど。実際やってみていかがでした?
圧倒的に自由な時間が増えましたよね。新規事業のネタを自分で考えたりできるようになったりとか。
250人従業員がいたときに比べれば、ストレスもかなり減りますよね。
そうなんです。ともあれ、それでいろいろな会社を手伝っているうちに、「やっぱり自分で事業会社をやりたいなあ」と(笑)。
なるほど、やはりそこに戻ってくるんですね。それでご自身で起業するようになったと。今はいくつの会社を経営されているんでしたっけ。
稼働しているので4社ですね。作った会社の数で言うと8社あります。
そこについては追い追いお聞きするとして、酒井さんの人生という視点でいうと、いつが一番楽しかったですか?官僚時代、雇われの社長だった時代、そして今のオーナー社長時代とありますけれど。
それはもう、今が圧倒的に一番楽しいですね。
そうなんですね。国を動かしていた時代よりも楽しいと。
楽しいですね(笑)。今は逆に、自分ができる範囲で国を動かすに近いことができないかな、と考えていたりします。
なるほど、面白いですね。次回はそのあたりについても聞かせてください。
対談している二人
酒井 秀夫(さかい ひでお)
元官僚/連続起業家
経済産業省→ベイン→ITコンサル会社→独立。現在、 株式会社エイチエスパートナーズ、ライズエイト株式会社、株式会社FANDEAL(ファンディアル)など複数の会社の代表をしています。地域、ベンチャー、産官学連携、新事業創出等いろいろと楽しそうな話を見つけて絡んでおります。現在の関心はWEB3の概念を使って、地域課題、社会課題解決に取り組むこと。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。