泉一也の『日本人の取扱説明書』第68回「ナガレの国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第68回「ナガレの国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

人類はアフリカを出、東へ東へと旅をし、ついにその果ての孤島に流れついた。それが日本人の祖先である。この流れ者集団が東の最果てにやってきたのは、冒険心からだけではない。争いの世界がアホらしくなり、平和の地を求めてきたのだ。1万7千年間にわたった縄文時代、その遺跡から武具が発見されないことからそれが分かる。祖先は「戦いのない平和な世」を作った。

縄文から一氣に時代は飛ぶが、戦闘集団でもあった武家は京都を去り、東の未開地「鎌倉」に幕府を開いた。さらに戦国の世を経て徳川家康はさらに東の地「江戸」に幕府を開き、三百年近い平和の世を生んだ。その長い平和を過ごしている間、世界では植民地争奪の帝国主義となり、東から来た黒船が起点となって、日本もその流れに巻き込まれた。結果、日本人は東の海を越えハワイにまで足を伸ばし、奇襲という英断の機を生み出した。その後、日本は八十年近く平和を享受し今に至るが、失ったものは計り知れない。東の海を越えたのは平和を求めてのことだっただろうが、果たして英断だったのか。

日本人は本来流されている感覚を嫌う。長いものに巻かれることを嫌う。だから東に進み、新しい流れを生み出した。それは歴史が教えてくれる。しかし今の日本は流され、長いものに巻かれている。だから自分も国も嫌う。アンケートをとると日本人の自己肯定感があまりに低いのは、謙遜の文化があることを前提にしても異常である。

現代は「流れを生み出したい」というDNAをOFFにしながら、グローバリズムという大波に飲まれ、英語教育に躍起になる。同じカリキュラムを勉強し、大手の塾に行き、偏差値ランキングを見ながら受験し、人氣企業ランキングを見ながら就活する。そんな一律社会に生まれた子供達は、流されることがアホらしいと氣付きだした。先祖から受け継いだDNAが騒いでいるのだ。この一律社会が崩壊するのは時間の問題であろう。

流されるのではなく、流れに乗りながら新しい流れを生み出す。この感覚が日本人の身体知に残っている。だから日本には武道でも茶道でも書道でも北斗の拳に至るまで流派がたくさんある。私もコーチングの流れに乗りながら「場活流」を生み出した。場活流を学ぶ人が増えつつあるが、そこで伝承するのは流儀である。一子相伝の北斗神拳では、技でいえばトキ、強さでいえばラオウであったが、流派を受け継いだのは技も強さも劣るケンシロウであった。それは流儀を受け継ぐのがケンシロウだと師匠リュウケンが見極めたからだ。

グローバリズムの流れに乗りながら、新しい流派を作ればいい。それが日本人にはできる。その役目がある。先の大戦では世界の流れに乗ったが、新しい流派は作れずに終わった。そのまま流されながら豊かさと平和を享受してしまった。そのつけが今、いろんな場所で噴出している。

豊かさも平和も自分たちの流儀で生み出せばいい。アフリカから東へ東へと渡ってきた人類史の流れを読めば、何が日本人の強みで何が役目なのかわかるはずである。そう、長いものを逆に巻き返すぐらいの新しい流派を作るチャンスである。そして東に足を伸ばすのではなく、西に巻き返していくタイミングである。東にいっても素晴らしい機(チャンス)はないと先人が命を賭して教えてくれたのだ。

では最後に場活の流儀を。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」が教えてくれるように、流れは変わらずあるが、もう元の水ではない。これが「無常の流れ」である。無常の流れに、豊かさが溢れている。その無常の流れを感じながら新しい流れを作る。これが場活である。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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