泉一也の『日本人の取扱説明書』第122回「オチの国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
「結論から話せ」
社会人になりたてのころ、上司によく言われた。
そんな上司に軽く反抗してみよう。
「結論を先に言ってしまったら、おもしろくないじゃないですか」
「お前はアホか。仕事はおもしろいもんじゃない」
「じゃあ言いますが、話しながら後で結論が見えてくることもよくありますよ」
「上司に“じゃあ”ってなんだ。俺はお前の友達じゃないぞ。先に結論を出してから俺のところに来い。俺も暇じゃない。」
「はい、わかりました」
反抗終わり。
「結論から話す」というのは生産性を上げるためらしいが、果たして生産性は上がるのだろうか。
反抗せずに結論から言うと、短期的には正しく、長期的には否である。
その場での会話時間は減るので、時間短縮になる。結論を待っている間のイライラがなくなるのでメンタル的にもよい。短期的には正しい。
では長期はというと生産性が下がる。なぜなら会話を通して結論に至るという協力関係と、会話の中で互いが学び合う学友関係が築けないからだ。一人で完結する仕事などなく、必ず「関係」が発生するが、その関係を築く機会をロスするのだ。
生産性という言葉には「個人」のイメージがつきまとう。共に創リ出すという共創の関係が入っていない。日本で「生産性を上げよ」と言えば言うほど長期的には生産性が落ちていく。これが、今回のコラムのオチだ。
そう、オチといえば落語。落語は生産性の低いお話。登場人物たちが会話を交わしながら話が展開していくのだが、どの演目も話がじれったい。「じゅげむじゅげむ」などは何度その名前を言うのかというぐらいしつこい。いつ終わるねん・・もう早く結論出してや。観客は時折笑いながらも焦らされていく。
そんなこんなの「じれったさ」を経て最後の最後。スコーンとオチがある。今までのじれったい話が最後の一文でスッキリとつながるのだ。そして長らく居座っていた落語家は、ささっとその場を去る。このじれったさとオチのコントラスト。落語が長期にわたって人気があるのは、これが日本文化の根っこにあるからだ。
浪速の商人たちは「話のオチ」を大切にした。オチがあるほうが儲かることを知っていたからだ。よって日本のビジネスでは「生産性を上げよ」は禁句。それよりも「それ、オチた?」という問い、いや「それオチてないで」というツッコミが大事なのである。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。