泉一也の『日本人の取扱説明書』第126回「たまには贅沢の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
「贅沢は敵だ」
この言葉が流行っていた時代があった。1937年(昭和12年)第一次近衛内閣の時に行った政策「国民精神総動員(こくみん せいしん そうどういん)」(略して精動)での標語である。日本はブロック経済で英米から追い詰められ、さらに戦争が長引くことで「物資不足」を見込んでの政策であった。
当時は国民をスローガンで先導(扇動?)するのが世界の常識であったので、こうした標語に違和感はなかっただろう。現代人の視点で見ると、『国家への忠誠心を持ち、自己犠牲の精神で滅私奉公をするのだ!』というマインドは受け入れがたい。というか国民精神総動員という言葉自体が気持ち悪い。個人の精神までも国が所有しているように感じてしまう。
それはさておき、贅沢は敵だ!という考え方は日本人に行き渡った。そのおかげで、省エネ技術は磨かれたし、もったいないオバケも誕生した。そして日本は高度経済成長で豊かさを得ながら「たまには贅沢もいいよね」と罪悪感をこの言葉で濁しながら、贅沢を享受した。
贅沢への罪悪感。これがある限り、贅沢の美は生まれない。後ろめたさが輝きを濁してしまう。海外に行ってブランド品を漁る人に美しさはない。贅沢を楽しむ人は、そこに輝きを見出すので美しさが生まれる。それが芸術となり文化となる。
芸術も文化も「贅沢は敵だ!」の世界では無駄の類である。美しく着飾ろうなんてもってのほか。ファッションどころではない。モンペで十分。
日本人はバブル景気で浮かれていた頃を後悔している。贅沢は敵だ!の精神が残っている証拠であろう。バブル景気を反省しすぎたので、その後一気に経済は冷え込み、長らく続くデフレ経済を生み出した。
金融経済がバブルそのものであるので、バブル景気がよくなかったとかそういうことではない。罪悪感をまとわせた「反省」がよくないのだ。よって「贅沢の罪悪感」という縛りを解けばいいのだが、国家精神総動員という国を挙げて施した呪術を解くのは難題である。
貧乏くささが抜けないまま、世界第2位のGDPになってしまったことが日本の不幸。もしこの呪術を解き「贅沢の美学」が生まれていたら、芸術や文化に溢れる教育、家庭、まちづくり、企業経営、サービス、商品が生まれていただろう。
呪術を解くには「おまじない」である。痛いの痛いの飛んでいけー!である。どんなおまじないを言えばいいのか。
それは「たまには貧乏もいいよね」である。裏から術を返すのである。貧乏を意図的に楽しめば、贅沢の美しさが浮き上がってくるのだ。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。