「ハッテンボールを、投げる。」vol.39 執筆/伊藤英紀
長時間労働で従業員をこき使う会社は、
ブラックと呼ばれ、社会から
強い批判にさらされます。
このような人権意識の高まりと
時を同じくして、一方で、
副業の時代がやってきました。
ほぼ同時、と言ってもいいでしょう。
これには理由がありますよね。
副業を始めている人の多くは、
本業は正社員として会社に所属しながら、
副業については個人事業主として、
本業と競合関係にない他社の
仕事を請け負う人、あるいは
小さな会社を立ち上げて、
小さな事業を運営する人たちのようです。
長時間労働は、個人の自由や人権を
踏みにじり、人間らしい
ワークライフバランスを破壊する
反リベラルだ!と批判されながら、
同じく労働時間が増える副業の普及に
ついては、個人尊重のリベラルな
新しい働き方として歓迎される。
長時間労働という観点で見れば、
副業を始めれば自ずと労働時間が増え、
ワークライフバランスは崩れて
自由時間が減る可能性は高いが、
そこは反リベラルではない、
と多くの人々はとらえている。
ということは、
副業時代に期待を寄せる人々は、
労働基準法違反は論外だとして、
長時間労働が社会悪の本質と
とらえているというよりは、
一つの会社に一方的に支配されること、
自己選択が少ないこと、個人所得や
仕事の自己権限が高まらないことに、
主に苛立ちを抱いているようだ。
一つの会社に拘束されることは、
スキル・知識・経験を磨く自由を阻害する。
もっと自由に、自己成長のために、
人と場所との新しい出会いを広げたい。
そんなチャンスへの欲求もあるようです。
つまり、長時間労働への批判は、
個人の自由への侵害であり、
会社支配による人権冒涜が理由ですから
その価値観を押し進めるならば、
個人の自由選択を広げ、
会社支配を弱める『副業』が注目され、
増えるのは当然ということになる。
ブラック批判と、副業の増加は、
同じ考えを根拠にしているのだから、
同時期に社会的トピックになるのは
不思議でもなんでもない
ということになります。
「昔も長時間労働だったけどねえ」と
長時間労働をかばう中高年もいるが、
副業を歓迎する人々の批判の
根っこを考えてみると、
働く時間うんぬんというより、
長時間労働が
自己実現に役立たない、
と怒っているわけで、
逆にいうと、1980年代90年代
前後まではまだ、長時間労働が
自己研磨と、報酬アップなどの
自己実現に結びついていた、
と言えるのかもしれない。