泉一也の『日本人の取扱説明書』第139回「下請の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
1995年、私は大学の夏休みを利用し、約1ヶ月間、阪神高速道路公団(阪神地域の高速道路や橋を施工・管理・補修する組織)のインターンシップに参加した。阪神大震災で高速道路が横倒しになった映像を覚えているだろうか、当時私は土木工学を専攻し、神戸が地元なだけに、そういった現場に当事者として行かねばと熱くなっていた。
震災復興の渦中に入るので、初日はかなりの緊張と意気込みでオフィスに行ったのを覚えている。まだ22歳の世間知らずだったので、こうした大きな組織に入ると「お作法」がわからず、空回りしている私を担当の女性先輩が手取り足取り教えてくれた。今思い出すと、会社組織というものを本当に知らない学生だった。そんなヒヨコちゃんなので、職員さんの鞄持ちと資料整理といった簡単なお手伝いが中心だった。
現場同行では、酷暑の中で働く人たちの「復興魂」を感じ、大いに刺激を受けた。映画「黒部の太陽」を見た時のような、土木屋の矜持がそこにあった。話はそれるが、私が大学を卒業すると同時期に、土木工学科が地球工学科という名前に変わり、薄っぺらさを感じて寂しかった。
現場同行には道路公団のユニホームを着ていくのだが、まず現場に到着すると、炎天下の中現場監督が待ち構えていて、冷たいおしぼりを渡してくる。そしてキンキンに冷えたプレハブの事務所に連れて行ってもらう。そこでお茶が出てきてその次にコーヒーが・・VIP待遇というのだろう。「学生なんでボクはいいです」と断っても、意に介さずものすごく丁寧な対応をしてくれる。
「そうか、あんちゃん、学生か、よぅ現場きたな。まあ見ていってや」を期待していたので拍子抜けだった。
日々、組織のお作法を学びながら、現場同行を重ねるうちに、違和感が高まっていった。インターンシップの最後の方で飲み会に参加させてもらったのだが、そこでは職員さんが喧嘩腰で言い合い、罵り合いになった。女性先輩は泣きながら止めていた。
飲み会が終わるころ、課長がもう1軒行こうとバーに連れていってくれた。「さっきの件やけどな、みんな不満がたまってるんや」「不満は解決できないんですか?」と問うと「我々はどうせ課長止まり。あの部長や次長は天下りやわ。組織は変わらんで」。課長の話を聞いて飲み会が荒れた理由がわかった。
これが社会か・・と私は思わず、これは変えた方がいいな、と思って課長に解決策を考えましょと話を振るのだが、「君は学生やからわからんのや」の一点張り。「課長が諦めたら終わりでしょ」なんてあまりにもしつこく突っ込んだので「いい加減にせえ」と課長が怒りだす顛末となった。
インターンシップを終え、この経験が徐々に自分の中で大きくなり、この中に入るのはやめようと、大学を卒業するのと同時に土木業界を去った。その後、泉一也の人生はいかに!と続きを聞きたい方は、また別の機会にするとして、学生なりに感じたのは日本社会には下請構造が根付いていること。
下請構造は高度経済成長には機能したが、今や大問題になっている。「タイタニックの国」でも取り上げたが、中小企業の生産性の低さを招いているのだ。この下請構造は天下りといった仕組みの問題ではなく、心の問題。何か問題があると、上が変わってもらわないと、上が上が・・と責任の押し付けになる。下請はやらされ感と他責と諦めといった成長を阻害する3つの要因が揃い踏みしている。
下請構造があるので、意思決定する側と現場がone teamになれない。これが日本を組織とみたときの最大の弱点である。なので、下町ロケットや踊る大捜査線などのドラマがやたらヒットするのだ。心の問題を解消しないことには、いつまでもこの下請構造から抜け出せず、強者と弱者、持つ者と持たざる者の二極化が進んでいくだろう。
心の問題といったが、心の問題は無意識下、つまり潜在意識の中にあってこっそりとすりこまれている。その原因は一言で言うと「日本という組織を日本人が作ってないこと」から来ている。自分たちが作った国ではないのに、その国の制度や法律の保護下、管理下で生きている。占領下でこの国の基礎が造られたから仕方ないのだが、そこから抜け出せないままに、今に至ってしまった。憲法を改正しよう!とずっと言い続けているがここから来ているのだろう。憲法については今ほとんどの国民が困っていないので、変えようとするだけ徒労に終わるだろう。どこかの国の首相のように体を壊してしまう。
心の問題を解消するには、意識を変えればいい。それは「今ある組織を利用して自分の人生を豊かにする」である。この問いについてどれだけ考え、学び、実践し、を繰り返していくか。
子供の頃からそういった意識教育を始めればいいのだが現状は逆。学校教育は既に下請。文科省の下請になった学校、教科書の下請になった子供、残業に塾に宿題を見れば、生産性の低さがわかるだろう。親はその下請教育の学校に「ちゃんと行きなさいよ!」と言ってしまう。この教育を受けた子供たちがまた下請社会を支えていくのだ。
スタートは子供からである。課長になったらもう手遅れなのだ。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。