第105回「ブラックと没落の境目」

この記事について 税金や、助成金、労働法など。法律や規制は、いつの間にか変わっていきます。でもそれは社会的要請などではないのです。そこには明確な意図があります。誰が、どのような意図を持って、ルールを書き換えようとしているのか。意図を読み解けば、未来が見えてきます。

第105回「ブラックと没落の逆目


安田

高橋まつりさんって覚えてますか?

久野

はい、もちろん。電通の過労死事件の。

安田

たしか24・5歳で亡くなられて。もう5年も経つらしいです。

久野

そんなに経ちますか。早いですね。

安田

この5年でだいぶ変わりましたよね。残業や重労働に対する見方とか。

久野

社労士業界から見ると「労働政策が大きく変わったな」と思います。あの事件以来。

安田

電通も個人事業主化に舵を切りましたね。雇用のあり方を変えていこうという意思表示でしょうか。

久野

たとえば労基署の監査って、過去はお金の話ばっかりだったんですよ。

安田

お金の話ですか。

久野

「ちゃんとこの手当て払ってますか?」「未払い残業はないですか」みたいな。

安田

ああ、なるほど。

久野

いまは監査が来ると「労働時間」「健康診断の結果」「機械の安全装置」などにチェックが入ります。とにかく「仕事で人が死ぬなんて絶対にあってはいけない」っていう。

安田

金より命だと。

久野

はい。人の命を中心に監査するようになった。だから労働時間を守らない会社は厚労省のサイトで公表されます。

安田

黒部ダムって有名じゃないですか。

久野

あの観光地の?

安田

はい。黒部ダムは「すごい数の人が死んで、その犠牲によってつくられた」ってことが美談になってます。

久野

そういう時代だったんです。

安田

現代では許されないってことですよね。

久野

絶対に無理でしょうね。ひとりでも死んだらえらいことになります。

安田

ですよね。

久野

現代において「仕事で人が死ぬ」なんてことは絶対にあってはいけない。

安田

昔は「不健康でハードワーク」って普通の感覚でしたよね。

久野

リゲインのCMなんて「24時間戦えますか」で。今あんなCM流したら大炎上します。

安田

昔から過労死はあったんでしょうね。取り上げられなかっただけで。

久野

電通に限らずあったと思います。過労死として表に出ないだけで。ハードワークが当たり前でしたから。

安田

リクルートなんて「夜中の2時から会議だ」ってみんな自慢してました。

久野

そうでしたね。

安田

そういうのも含めて「いい会社だな」という世間のイメージだったし。

久野

そういう時代だったんですよ。

安田

働いてる人もそれがある意味誇りだったりして。ハードワークを自慢するサラリーマンって、いっぱいいましたよ。

久野

そうですね。企業戦士みたいな感じで。とにかく長時間労働が美しい時代でした。

安田

「国としての方針が変わった」ってことですか。それとも働く人の考えが変わったのか。どっちですか。

久野

労働政策が変わったことによって、人のマインドも変わっていったと思います。

安田

いままでは重労働が当たり前だったけど、「それはおかしいよ」ってことを気づかされたと。

久野

はい。だから逆にちょっと危険だと思う。

安田

なぜ危険なんですか。

久野

「働き方改革」を掲げた瞬間に、みんなそういう気分になっていくじゃないですか。

安田

周りに流されますからね。日本人は。

久野

本来は自分たちで考えて、自分たちで変えていかなくちゃいけない。

安田

日本人は外圧でしか変わらないから。

久野

そうなんです。今回も国が変えた瞬間に働く人の感覚もコロッと変わった。

安田

学校でも悪い生徒の頭をぶん殴るぐらいは普通でしたもんね。親も文句なんて言わなかったし。

久野

いまはスポーツの世界も含めて「絶対だめだ」という流れになってます。

安田

先生のほうがストレスで鬱になっちゃったり。

久野

極端に振れますからね。日本人は。

安田

「悪いとなったら微塵も許さない」みたいな。

久野

そういう風潮です。

安田

どっちが正しいんでしょう。「ブラックな重労働」という見方もあれば「これぐらい働かないと、どんどん生産性が下がる」という見方もあります。

久野

バランスが大事ですよね。

安田

殴っちゃいかんとはいえ「じゃあ、こんなひどい生徒はどうしたらいいんだ?」っていう。

久野

ただ経営者視点では「長時間労働して稼ぐ」という概念は捨てなきゃいけない。

安田

それで利益を出す構図はもうダメだと。

久野

もう無理でしょうね。それは前提としてある。ただおっしゃるとおり、まったく稼がないのに辞めさせられないし、強くも言えないからどんどん甘えが起きてる。

安田

殴られないのをいいことに、先生を挑発する生徒もいるらしいです。

久野

そうなりますよ。会社もどんどん儲からなくなっていく。

安田

共倒れでは意味がないですよ。

久野

いちばん手っ取り早いのは「なめてると辞めさせられる」という制度をきちんとつくること。

安田

それは国が主体で。

久野

はい。労働政策としてつくっていく。でないと長年にわたって日本が停滞していく。

安田

たとえばアメリカの学校では「先生が手を上げる」って御法度なんですけど。そのかわり学校に警官が来て乱暴な生徒は逮捕されます。

久野

はい。そこがちゃんとセットになってますね。

安田

必須ですよ。労働者を守ることは重要だけど「仕事ができない人をクビにする」のとセットじゃないと。

久野

ですね。何もしなくても給料が出続けるシステムだと、どこかで会社が終わっちゃう。

安田

現に教育現場は崩壊し始めてます。とはいえ教師の暴力は容認できないし。電通の高橋さんみたいに重労働で自殺する人も後を絶たないし。どうしたらいいんでしょう?

久野

これは本当にむずかしい話ですけど。いちばんの問題は「長く働かないと稼げないモデル」に多くの企業がなってること。

安田

でも本人が長時間労働を希望しているケースだってありますよ。納得しているのであればOKなんでしょうか。

久野

正社員はダメですね。だから電通は個人事業主化を進めているわけで。

安田

ハードワークをしてでも「稼げるようになりたい」って人もいます。そこも一律にストップしちゃうとスキルアップもできない。

久野

そう思います。会社が生産性を上げるってことも大事だけど、個人も能力を上げてもらわないと。この2つがあってはじめて経営が成り立つので。

安田

努力しない人を裏で締め上げることもできないし。

久野

できないです(笑)

安田

自分で努力してくれるほかないですよね。

久野

そう思います。ただ会社はそれすら課せないので。

安田

自分でやって欲しいけど「自分でやれ」とは言えない。

久野

そうなんです。日本で人を雇ってビジネスをやるのは本当にむずかしいです。



久野勝也 (くの まさや) 社会保険労務士法人とうかい 代表 人事労務の専門家として、未来の組織を中小企業経営者と一緒に描き成長を支援している。拠点は愛知県名古屋市。 事務所HP https://www.tokai-sr.jp/  

安田佳生 (やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

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