この対談について
「日本一高いポスティング代行サービス」を謳う日本ポスティングセンター。依頼が殺到するこのビジネスを作り上げたのは、壮絶な幼少期を過ごし、15歳でママになった中辻麗(なかつじ・うらら)。その実業家ストーリーに安田佳生が迫ります。
第2回 不良少女、月30万稼ぐ。
第2回 不良少女、月30万稼ぐ。
15歳で妊娠・出産した、というお話は以前伺ってました。でもそれ以外のことはあまり聞いたことありませんでしたね。
そうですね。特に隠しているわけでもないんですけど。聞かれたら何でも答えますよ。
興味があるのは、若くしてママになってからここまで、どういう社会経験を積んできたのかってことです。正直、いま話してる中辻さんとイメージが一致しないんですよ。
わかります。そんな10代を過ごしたのに、よく今みたいなキャリアを積めたねって言われますから。
ですよね。今週はそんな10代の中辻さんについてお聞きしたいんですけど。15歳と言えば中学生ですよね。
そうです。でもその時点で中学校には行ってませんでした。
えっ、そうなんですか?
はい。中2の頃には不登校で。だから私、いまだに漢字あんまり書けないんですよ。パソコンがあるから何とかなってるだけで。
へえ〜。全然そんな感じしませんけどね。小学生の頃は普通だったんですか?
いや、5年生くらいにはもう不良少女でしたね。先生やクラスメイトと喧嘩したり。母親はしょっちゅう学校に呼び出されてました。
不良少女になった理由は家庭環境なんですか。
そうだと思いますね。ハッキリ言うと、家庭が崩壊していたんです。だから家にいられなくて……でも、そんな子どもが一人で暮らしていけるわけもないじゃないですか。
それで男の人と一緒にいるようになると。
そういうことです。そこからはよくある流れですよね。一緒に住むようになり、妊娠・出産。15歳でママになって。
すごいなあ。相手は何歳くらいの人だったんですか?
20歳でしたね。でも私が18になる前に別れることになるんですけど。
それはまたどうして。せっかくの“金づる”……もとい、経済の基盤をなぜ捨てようと?
これもまたよくある話だと思いますが、実は旦那さん、借金まみれだったんですよね。家に消費者金融の人が取り立てに来て判明したんですけど……600万円くらいかな。
600万円も何に使ってたんですか?
車ですね。走り屋みたいな感じだったので。
なるほど。それですぐ別れようと。
いや、しばらくは私も頑張って返済を手伝ってましたよ。
え? だって中辻さんは当時まだ16とか17ってことですよね。お子さんもいるし、バイトもできないでしょう?
そうなんですけど……実は私その頃に自分で月30万円くらい稼いでたんですよね。
30万!?いったいどうやって?
当時って、携帯電話で自分のホームページを持つのが流行ってたんです。そのホームページを装飾するためのパーツというか画像を自分で作れるんですよ。
ふむふむ。
当時からそういう装飾パーツを作るのが好きで、最初は趣味でポチポチやってたんですけど、これビジネスになるんじゃないかって。
すごい。それで?
今で言う素材サイトみたいなものを立ち上げて、そこにアフィリエイト貼りまして。それでだいたい月30万円くらいは稼いでました。
なんと……やっぱり昔から才能あったんですね。
そうなんですかね(笑)。でもその素材サイトも2年くらいでやめちゃって。
それはどうしてですか?
アフィリエイトで稼ぐには、サイトに人がたくさん来てくれなきゃいけませんよね。だからとにかく宣伝しなきゃいけないんです。結果、1日中ずっと携帯電話をピコピコしてる状態になってしまって。
なるほど。そうなりますよね。
子どもと一緒にいるのに携帯ばかり見てると。それはよくないなと思ってスパッとやめましたね。その後、結局旦那さんとは離婚して、17歳でシングルマザーになりまして。
そういうことなんですね。でも、いずれにせよ食べていく必要はあるわけで。
そうなんですよね。だからちゃんと働こうと。初めての就職活動ですよね。
なるほど。では次回はそのあたりを聞かせてください!
対談している二人
中辻 麗(なかつじ うらら)
株式会社MAMENOKI COMPANY 専務取締役
1989年生まれ、大阪府泉大津市出身。12歳で不良の道を歩み始め、14歳から不登校になり15歳で長女を妊娠、出産。17歳で離婚しシングルマザーになる。2017年、株式会社ペイント王入社。チラシデザイン・広告の知識を活かして広告部門全般のディレクションを担当し、入社半年で広告効果を5倍に。その実績が認められ、2018年に広告(ポスティング)会社 (株)マメノキカンパニー設立に伴い専務取締役に就任。現在は【日本イチ高いポスティング代行サービス】のキャッチコピーで日本ポスティングセンターを運営。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。