30年ほど昔、わたくしが十代のころに読んだ短編小説で、
作者もタイトルもおぼえていないけれど
印象に残っていた作品がございます。
子供の頃から周囲の期待にこたえて
いわゆる良い大学、良い会社に入った若者が、社会では挫折して会社もやめてしまい、
知り合いの小さい工務店かどこか、スーツではなく「作業服を着るシゴト」に就く。
人間関係はけっして悪くなく、社長が社員に気軽に「オヤジ」と呼ばれている、
本当の意味でのアットホームな職場だった。
しかし、若者はいまひとつなじむことができない。
自分がドロップアウトした人間であるという鬱屈をかかえていると同時に、
こんなところに来てしまった、というプライドが残っている。
ある日、若者は運転していた仕事のクルマを、狭い道のすれ違いでこすってしまう。
やってしまった、と若者は青くなるが、同乗の仲間たちは
ケガをしたわけでもないし、ちょっとのキズくらいいいさ、と気に留めない。
若者はその出来事をきっかけに気持ちが晴れやかになり、
今度、自分も社長を「オヤジ」と呼んでみようか、と思う。
細部はいろいろ違うかもしれませんが、こんな内容でした。
小説の若者のような良い学校良い会社を出たわけではありませんが、
わたくしも新卒で入った会社のあと、現場仕事の会社に就職したことがあります。
10人くらいの零細で、民家のような工場(こうば)で作った納品物を
現場で施工・取付する、という仕事でした。
今思えば、自分が雇い入れられたのは「若いから」以外の理由はなく、
またそれ以外の取り柄がなにもなかったのも事実ですが、
わたくしの方もそんな状況をたいして気にしておりませんでした。
短編小説で見た、「作業服を着るシゴト」をする男たちに対して、
カッコよくはないがココロは自由な空気というのを
なんとなく信じていたのです。
そして実際のところですが、
もちろんというべきか
給料は最低賃金レベルで低く
社保とか怪しく
休みは少なく深夜残業がたびたびあり、
また
先輩社員たちはマジメではあったけれど小うるさく
手を動かしながらであっても許可なく飲み食いすると咎めだて、
年配のおっさん社員は
可愛げのない青二才に対して「場違いの大卒め」といわんばかりの態度であり、
そして社長は
数年おきに買い替えるぴかぴかの高級車で町工場に乗りつけ、
町工場の二階に綺麗にあつらえた社長室で遊んでいるか寝ている、
そんな「オヤジ」なのでありました。