その100 流行遅れの病

年を取ってきますと、
だんだん世の中のことに疎くなってまいります。

好奇心が働きづらくなるとか、
感性が生活のルーティン化にあわせてさび付くとか、
そんなようなものは案外中年になってから始まるものではなく、
物理的、肉体的なピークと同じにけっこう若いうちから
起こっているのではないのかと思われます。

若者といえる年齢なのにお酒の席の話しっぷりが
過去の(楽しかった)話題中心の
できあがったオッサンのような人とかもいますしね。

加えて、現代の庶民というものはパーソナライズされていない情報に
触れづらいものですから、おのずと
「興味のあることにだけ詳しい人」か
「それすらもなくてほんとに何にも知らない人」に近づいていくという寸法です。

個人的には、典型的な後者です。

そんな、世の中のトレンドを知らない、情弱おじさんのわたくしですので、
この一週間自分が体験した病について述べたところで
世間様にはきっと
「そんなのオワコンだよ」
と鼻で笑われてしまうことでしょう。

ふつうの風邪では出ることがない高熱が瞬時に出たことも、
時間外の診療所に行ったところ、大勢の同じ持ちねたの待ち人がいたことも、
右の鼻の穴と左の鼻の穴に綿棒を突っ込まれてダブル検査されたのを見て
「どっちがインフルでどっちがアレなんだ…」と思ったことも、
本格化した翌日には家族にも症状が出ている感染力におののいたことも、
どれもきっと流行遅れのトピックで、鮮度はゼロなのです。

そんな流行遅れの病にもかかわらず、
かかっている間はなぜだか苦しいものです。
39度の熱が出ているだけで具合が悪かったりあちこち痛かったりします。

不思議なのは、その間、思考能力が極端に落ちていることを自覚できたことです。
なにかを見聞きして気を紛らわそうにも、
今はこれを理解できないということだけ、なぜか客観視できるのです。

高熱のときはなかなか短い時間しか眠れずにいましたが、
その時も脳みそはストライキ状態にあり、
「夢なんてメンドクサイものは作らないよ」という意思を感じました。

結果、それでも目の前に用意できたのは
今の生活で一番目にしている時間が長時間にわたるもの、
わたくしの場合、「会社の業務で使っているソフトの操作画面」でした。

処刑の前の日に食べられる最後の食事ではありませんが、
超単純化された世界に残った、いわば自分の人生の究極の景色が
家族とか故郷とか、そんな人間らしく尊そうなものからかけ離れた
「業務ソフトの画面」
なのかあ……

それについては、回復してから、人生これでいいのかな、と本気でおもっています。

 

この著者の他の記事を読む

著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

感想・著者への質問はこちらから