アンバランスのすすめ

日本人がバランスを重視するようになったのはいつ頃なのだろう。和をもって尊しとする考えは古くから続く価値観である。だが和とバランス重視は似て非なるものだ。江戸時代までは偏った職業がとても多かった。たとえば猫のノミ取りや飛脚のような仕事が存在した。それらは特殊な才能を伸ばし続けて生まれた職業である。

現代日本ではこのように偏った人材は変人扱いされ、社会の隅っこに追いやられてしまう。その排除は子供の頃から徹底していて、ひたすら数字を数える子供や、わずかな色の違いに執着する子供は、特殊学級へと移動させられる。苦手な科目を作らず、与えられた教科すべてで合格点を取ること。これが学校教育の目的なのである。

当然ながらそこで育った子供はバランスを重視する大人へと成長していく。1科目でも落第点があると先には進めない。これは社会人になった後もずっと続くシステムだ。社会人としての知識、常識、服装、髪型、言葉遣い。ここで合格点を取らないと職につくことが出来ない。こうやってバランスの取れたビジネスマンによるバランスの取れた会社が出来上がっていく。

私はそれを全否定するつもりはない。バランス重視の組織も人材も人間社会には必要だからである。だが全てではない。野球しか出来ない人がいてもいいし、音楽以外に興味がない人がいてもいい。得意と不得意を交換しあって成り立つバランスこそが和なのである。和とは決して同質の集まりを意味する言葉ではない。

大きな組織には確かにバランス感覚が必要だ。だがニッチな集団はどんどん自分たちの個性を伸ばせばいい。中小企業に欠落しているのはこの価値観ではないだろうか。そもそも中小企業は偏っている。ひとつの業界のひとつの部門。それをさらにニッチに尖らせたような存在。それが中小企業のあるべき姿だ。

だが多くの中小企業はなぜかバランスを取ろうとする。その結果、個性のないミニ大企業が大量に出来上がっていく。スケールメリットも出せず、個性もない小さな集団が、何をもって生き残っていけるのだろう。小さな会社は偏ってこそ価値がある。経営者はこの事実を胸に刻むべきだ。

偏った人材をどんどん採用していこう。大企業では絶対に生き残れないような人材。社会の片隅に追いやられてしまうような人材。その能力をとことん活かすのだ。欠点がなさそうな無難な人材をどれだけ集めても、自社だけの価値は決して生まれないのである。

 

この著者の他の記事を見る


尚、同日配信のメールマガジンでは、コラムと同じテーマで、より安田の人柄がにじみ出たエッセイ「ところで話は変わりますが…」と、
ミニコラム「本日の境目」を配信しています。安田佳生メールマガジンは、以下よりご登録ください。全て無料でご覧いただけます。
※今すぐ続きを読みたい方は、メールアドレスコラムタイトルをお送りください。
宛先:info●brand-farmers.jp (●を@にご変更ください。)

 

感想・著者への質問はこちらから