自営にせよ、サラリーマンにせよ、
誰かに何か教わったり、教育を受ける経験があれば
一度は必ず受けたことがあり、
また誰かに教える立場になれば、口にするであろうことのひとつが
「あなたの価値は時給でいくらだと思う?」
という問いです。
問い方が「あなたは一日いくら稼げばいいと思う?」など、
表現はいろいろあると思います。
ですが、最終的になにがしかの経済的成果物を出さなくてはいけないのは
仕事内容を問わずどんな方でも共通し、それは時間との案分となります。
そんな当たり前すぎる問いですが、
若いとき、いま以上にボンクラだったわたくしは
「ほえー、いってることはわかるけどピンとこないなあ」
などと呑気に受け取っておりました。
当時、携わっていた業務はグループの規模は小さかったのですが
ひたすら歯車的役割を求められており、
(思い返すとそこの「教育」だったのでしょう…)
自分のタスクと「稼ぎ」の因果関係がさっぱり見えなかったのです。
実際、周囲を見渡したところ、
たとえば営業が「稼ぐ」といっても、ほぼ100%に近いレベルで
既存顧客からできあがった流れに乗って得ているものでした。
一日いくら稼げばいいのか、という問いが暗に述べている
「時間の使い方があらゆる結果を決めるのだ」という真理は、営業活動すら決まりきったルーティンにある環境では
説得力を発揮しなかったのでした。
さらに、その後、特に中小企業という世界にいることで、
時間の価値というものが踏みにじられている場面に何度も遭遇しました。
中小企業では、社長が個別の案件に関わっていることが多々あります。
経営より下の特定事項に、経営者が関心事を持っているわけです。
そこで、社長が「これ何とかしてほしいんだけど」と口にしてしまうと、
周囲の人々は自分が手にしているものを
緊急度も重要度も関係なく、即座にぜんぶ放り捨てて対応する……
という構図が展開されるのです。
あるいは、担当分野を「おまかせ」されている末端業務のベテラン社員が
資料の見栄えに半日注ぎこむ、とか、
自席の周りで「相談」を始めた社員2人が
気づいたら20分後も同じ場所に立っているとか、
地味な地獄絵図が繰り広げられていたりするものです。
こうしてみると、
「あなたの価値は時給でいくらだと思う?」
という問いには、隠れた前提があるように思えてなりません。
それは、
「その問いに向き合えるのは、自分の価値が時給でいくらかを考えられる人だけ」
という、まったく絶望的な現実なのでございます。