これからの採用が学べる小説『HR』:連載第10回(SCENE: 017)

HR  第2話『ギンガムチェックの神様』執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

 


 SCENE:017


 

 

何だ……俺は一体何をやってるんだ。
ほんの数十分前に戻ってきた道を走りながら自問自答する。はっきりした答えが出る前に、久々に動かす体がすぐに悲鳴を上げ始める。
営業三部に配属された同期は、靴が二ヶ月でダメになるのだと言っていた。足で稼ぐ営業。泥臭い仕事。そういう話を聞くたびに、俺は内心バカにしていた。なんて非効率なことをやってやがる。営業なら足ではなく頭を使え。同じ時間で高い成果を上げることこそ、営業にとっての「生産性」だ。
そんな俺が今、走っていた。しかも、理由もよくわからないまま。
何なんだ。この情報化社会の今、しかも、名だたる大手を相手にする営業一部の俺がなぜ走らなきゃならない。
「クソっ」
悪態をつきながらも、なぜか俺は走り続けた。記憶の隅に、保科が茂木に対して行っていた「取材」の様子が残っていた。頭のおかしい保科の「取材」。時給を聞くでも、待遇を聞くでもない、まるで芸能人のインタビューのようなパーソナルな話ばかりだった。あんな情報で求人の原稿が作れるはずもない。メチャクチャな取材だと、できれば否定したい。だが、なぜかそうし切れない自分がいる。何かが自分の中で引っかかっている。
こんな気分になるのは初めてかもしれなかった。俺は自分が何を感じているのかはっきりとはわからないまま、新橋駅前を行き交うサラリーマンの間を駆け抜ける。
4月の午前11時、すぐに額に汗が浮かんでくる。右手に家電量販店。観光客らしきアジア人の団体が、店頭に並べられた目玉商品の前で満面の笑みを浮かべている。あの商品を買うためにわざわざ日本に来たのだろうか。非効率なことしやがって。このネット社会、欲しいものがあるなら通販で買えばいいじゃねえか。
だが、商品の箱を抱えてガッツポーズをする父親らしき男の顔を見た時に、なぜか突然、保科の言葉が蘇った。
ーー採用ってのは、人間の話だろ?
……
気づいたときにはクーティーズバーガーの軒先に立っていた。汗が全身から吹き出してくる。こんなに走ったのはいつ以来だろうか。上がる息を整えながら、扉を押した。既に聞き慣れたガロンガロンという鈴の音。
「しゃ……社長……」
社長はまだ店にいた。さっきと同じ席に座り、難しい顔をしてMacBookに向き合っていた。
「……すみません……あの……」
何をどう言えばいいのだろう。だいたい俺は何のためにここに戻ってきたのか。顔を上げた社長は俺に気付くと、一瞬驚いた表情をし、だが次の瞬間には、保科と遅刻してきたときに見せたような難しい顔になった。
「何の用ですか。もう御社と話すことはありません」
社長はぴしゃりとそう言うと、またPCに視線を戻してしまう。先ほど見た、どこかぼんやりした様子はもうなかった。テーブルの上にはまだあの本が置かれたままだったが、その存在を拒絶するように、天板の一番隅に裏返して置いてある。それはそのまま、俺たちAAに対する気持ちだとも感じられた。
冷静に考えれば、あんな態度をとっておいて、契約がもらえるはずもない。いや、社長の態度は控えめだとさえ言えた。たとえば、これがもしウチの鬼頭部長だったら……。そう考えてゾッとする。あんな態度を商談相手がとったとして、鬼頭部長はどんな反応をするだろうか。仮にもう一度商談を再会したいと望むなら、上司を連れてくるなり何らかの補償をするなりしなければダメだろう。もちろん、担当営業の全力の謝罪があった上でだ。
……謝罪か。
普通に考えれば、まず俺がすべきはそれだ。だが、心のどこかで、俺はいま社長に、そうではない別の何かを伝えなければならないのではないか、という気もした。……しかし、それが何なのかがわからない。頭の中で、保科の言葉やHR特別室で見た茂木の悲しそうな顔が浮かぶ。
黙っている俺に、社長が溜息混じりに顔を上げた。
「なんなんだね、一体。もう話すことなどないと言っているだろ? こっちはね、忙しいんだ。人手が足りないし……社員もどっか行っちまうし……」
社長は自嘲的な表情を浮かべ、iPhoneを持ち上げてみせる。
「それに、バイトもドタキャンだよ、店のグループラインで一方的に報告して終わり、ときた。……見てみろ、ランチ時間間際なのに店員が一人もいない」
 社長はそう言って自嘲的に笑った。唯一の社員というのは茂木のことだろうか。
「まったく……誰一人頼りにならない。俺は一人でこの店を守らなきゃならない」

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