泉一也の『日本人の取扱説明書』第33回「水の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
トイレで用を足した後、手を洗わない。「えっ!」と思うだろうが、世界でみると手を洗わない国の方が多い。世界の常識は「洗わない」。
日本では多くの飲食店でお手拭きが出されるが、外国では稀。神社で参拝する時も、最初に手水舎(てみずや・ちょうずや)に寄って手を洗うが、キリスト教、仏教、イスラム教ではそんなことはしない。水と日本人の精神性には何か関連がありそうだ。
では、水に関する漢字をいくつか挙げてみよう。水、氷、泉、川、井、池、沼、湖、浜、海、清、涼、澄、江、汐、泡、淡、潮、沢、河、滝、波、泳、浮、沈、沖、漁、港、湊、淵、洲、津、渦、瀬、流、湧、沸、洗、深、満、雨、雪、雲、雷、霜、露・・・これらの漢字が名前に使われている人も多いはず。わたくし泉の知人リストを見ると約2割に「水」に関する漢字が使われていた。
日本人は水をどう感じてきたのだろう。
日本は山と海が近いため急流の川が多く「変化の流れ」を感じやすかった。川は飲み水となり、田を潤し、川魚などの幸を与えてくれるが、洪水となって田畑と住居に大きな損害を与え、時には人命までも奪う。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」。鴨長明が記した方丈記の序文は、日本人の誰しもが聞いたことがあるだろう。鴨さんは川の水を比喩にして「変化」と「生死」という「人の世の理(ことわり)」を表している。
日本人は水そのものではなく「水の流れ」を感じながら「変化」と「生死」に関する精神性を育んできた。『全てが水になった』という表現には、無駄に終わったという絶望の中に(きれいさっぱり)という爽やかさを感じる。『水に流す』もそうだ。憎しみを手放すことで、自分が(きれいさっぱり)と浄化された感に通じる。「変化」と「生死」の理の中で、ネガティブな世界の中にあるポジティブを感じ取っているわけだ。陰陽論でいうと水の流れは陰中の陽であり、浄化は陽転を表す。