「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
7通目/安田からの返信
「そもそも限定されているのが人間」
定められた運命の中でいかに自分を生かすか。はい、まさに私が言いたいのはそこです。そもそも人間はせいぜい100年しか生きられないし、太陽系を出れないし、数分間息を止めたら死んでしまう。どんなにジャンプしても2メートルも地球から離れることができないのです。この限りなく定められた人間というワクの中でどう生きるか。それを真剣に考えるなら、まず自分の運命を受け入れるしかない。私たちが人間であることを否定してもしょうがないと思うのです。私の運動神経が良くないことも、音痴なことも、モテないことも、認めてあげる。そのとき初めて自分の生かし方が見えてくる。今日を大切に生きるとはそういうことではないでしょうか。
前回6通目/大野「何者になるか?は誰のどんな声に従って生きるかだ」
んーーーーー安田さんの場合それらの可能性がゼロだって、いつ、どのように知ることができたんですか?人が何者になるか?は誰のどんな声に従って生きるかだと思うんですけど。平行線になると勿体ないので、ここまでの安田さんの主張を一旦、独断で方程式にしてみますね。違っていたら修正ください。
どう生きられるか?=定められた運命(役割)×その定められた運命の中で許されている努力
それに対して、僕が感じていることを方程式にすると
どう生きられるか?=頭の中のおしゃべり×今日一日、何を大切に生きたと言えるか?
になります。
ー大野より
5通目/安田「ホントにそう思いますか?」
たとえば私は運動神経が悪いので、プロ野球選手になる可能性は生まれながらにゼロでした。音痴だし顔もこんななので、歌手になる可能性も、アイドルになる可能性も、私にはゼロでした。別に私はひがんでいるわけじゃないんです。「どうせ俺は〇〇にはなれなかった」と言いたいわけではなく、自分には自分のやるべき役割があるということ。つまりその役割は(ある程度の幅こそあれ)最初から決まっていた。そう言いたいわけです。何に向いているとか、向いていないとか、そういうスキル的なものではなく、運命的なものとして決まっていた。私にとってそれはリアリティーのある現実なんですけど。私の妄想でしょうか。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/