「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
14通目/大野からの返信
「現実の自分(自分が信じている自分へのイメージ)をもし否定したとしても、そこには『大いなる前提』がある」
前提ほど人生や自分自身にパワフルな影響を与えるものはないんです。例えば、自分ってダメだ!って落ち込んだとするじゃないですか。なんで落ち込めるのだと思いますか?僕の観点は、もっと自分ならできる!ってことをどこかで知っているからこそ落ち込める。そこには可能性が大前提にある訳です。もしも、本当にダメなのであれば落ち込むだけでは済みませんからね。どんな前提を置いて生きるか?そして、私は自分の本当の価値を知っていたら、今日一日どう振る舞うか?という問いは向きあう価値がある。だから、安田さんの言われる「現実の自分」をもし否定したとしても、そこには『大いなる前提』があるのだと逆説が成り立つ訳です。
前回13通目/安田「自分を超えるとはどういうことか」
私もレッテルを張るという行為は好きではありません。自分を卑下するのも、他人を卑下するのも、自分はこうだと決めつけるのも、あの人はこうだと決めつけるのもよくない。それはその通りです。私が一貫して主張しているのは自分を認める大切さです。レッテルを張るのではなく、決めつけるのでもなく、弱い自分もダメな自分も認めてあげる。そのとき初めて本当の自己に出会えるのではないでしょうか。何にでもなれる、どんなことでも出来るという気持ちはとても大事。でも現実の自分を認めないことには何者にもなれない。自分を超えるとは超人になることではなく、自分自身で狭めている枠を打ち破ることだと思います。
ー安田佳生より
前々回12通目/大野「誰にも役割の自由と可能性があるからこそ」
そもそも僕たちはどうしてこんなにも、自分のことも含めて直ぐにレッテルを貼りたがるのでしょうか?自分はこうだ。あの人はこうだ。仕事はこうだ、人生はこうだ。その理由は、それ以上その事柄に関して考えないで済むからです、きっと。そして、そのままの姿勢では、学習すればするほど下手をしたらレッテルの数が増えるだけ。
で、質問に応えると、安田さんの言う役割(僕の言う役割とは異なる)が決まっているから与えられる楽器が異なるのではなく、誰にも役割の自由と可能性があるからこそ、与えられた楽器と自己とを区別し、自分と向き合い、時に自分を超えようと生きていけるのではないでしょうか。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/