「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
16通目/大野からの返信
「ダメな自分を受け入れると言う本当の意味」
自己肯定感は、何があってもなくても、何が出来ても出来なくても、最初から最大限に持たなければいけません。何かができるようになったら自己肯定感が高まるといった考えでは、実は一向に高まらないのです。多くの人はこの落とし穴にはまっているように見えます。これは幸せと同じ。何かがあって幸せに成れるとしてしまうと、その前提には何かがなければ幸せには成れないと言うことを意味してしまう。
また、例えば自信が持てないってことは、「自信が持てない」事を「信じている自分がそこにある」状態です。自己肯定できない事を根拠も無いのに自信を持って肯定している。この真理と向き合うことこそ、ダメな自分を受け入れると言う事です。
前回15通目/安田「本当の肯定は否定から生まれる」
「俺はこんなもんじゃない」という前提からダメな自分を否定しない。それはとても素晴らしいことですよ。でも否定しないというのは「ダメな自分を受け入れない」ということではありません。現実を受け入れずに「まだ本気出してないだけ」というのは単なる現実逃避です。ダメな自分を受け入れて尚かつそのダメな自分を否定しない。それが本当の自己肯定ではないでしょうか。自己肯定できるからこそ自己否定することができる。自己肯定感が低いから自己否定できずに現実逃避してしまう。矛盾するようですがこれが真実だと思います。何かが出来ないことは何もかもできないことではない。ひとつの欠落は欠落した人間を意味するものではない。
ー安田佳生より
前々回14通目/大野「現実の自分(自分が信じている自分へのイメージ)をもし否定したとしても、そこには『大いなる前提』がある」
前提ほど人生や自分自身にパワフルな影響を与えるものはないんです。例えば、自分ってダメだ!って落ち込んだとするじゃないですか。なんで落ち込めるのだと思いますか?僕の観点は、もっと自分ならできる!ってことをどこかで知っているからこそ落ち込める。そこには可能性が大前提にある訳です。もしも、本当にダメなのであれば落ち込むだけでは済みませんからね。どんな前提を置いて生きるか?そして、私は自分の本当の価値を知っていたら、今日一日どう振る舞うか?という問いは向きあう価値がある。だから、安田さんの言われる「現実の自分」をもし否定したとしても、そこには『大いなる前提』があるのだと逆説が成り立つ訳です。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/