「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
58通目/大野からの返信
「考えているの反対の極は考えていないではない」
仰られることはよく分かります。
ただ、すぐに行動する=何も考えていない=思考停止でもないですし、行動する前に考える=しっかり考えているともなりません。考えているの反対の極は考えていないではなく、実は、考えている、考えていないはむしろ同じ極で、対極にあるのは、自分の頭で考えていることをあるいは、考えていないことを知っているか?知らないか?なのではないでしょうか。成功の反対は失敗ではありません。何もしないことです。このように思考停止の対極は思考しているではなく、自分に見えていないものがあることを知っているか?です。それを見ようとすることが考えること。即ち考えることは生きることそのものだと言えます。
前回57通目/安田「確かにそうなんですよね。でも・・・」
意欲があるから動くのか。動くから意欲がわくのか。う〜ん。確かに後者の方が多い気がしますね。楽しいから笑うのか。笑うから楽しくなるのか。これも同じですよね。嘘でもいいから笑ってると健康になると聞いたことがあります。実際に「わははは、わははは」と5分ほどやったら何やら楽しくなりました。しかしながらですね。まず動け。とりあえず行動せよ。というのがどうしても好きになれないんです。だって何も考えずに行動したまま、ずっと何も考えずに生きている人がすごく多いですから。行動によって脳が騙せるとも言えますが、行動によって脳が思考停止になる人もいる。これはどうしたらいいのでしょう?
ー安田佳生より
前々回56通目/大野「どんなに無様でも」
いくつかの観点がありますが、あえて言えば、音楽家がステージに上がって演奏で魅了する方法、つまり練習すること。そんな表現になります。
もっと露骨に言えば、座して死すより、どんなに無様でも挑戦する。ぶちのめされる。どんなに無様でも立ち上がる。そして、どんなに無様でも挑戦する。ぶちのめされる。しかし、どんなに無様でも起き上がる。…それはやがて生き様となる。その過程で思考され、出会い、感じ、信じ、確信し、見えてきて、イメージされ、言語化されていくのだと思います。詳細は省きますが、脳の構造上、例えば、意欲があるから動く、ではなく、動くから意欲がわくという順番らしいですし。安田さんはどうお考えですか?
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/