125通目/安田からの返信 「内なる声の正体とは」
仰ること、よく分かります。自分の内側の声に耳を傾ける。これはとても大事ですよね。たとえば、嫌だ、辛い、苦しい、という負の声。そっちへ行っちゃダメだ。そんなことを続けたらおかしくなるぞ。さっさとやめちまえ。というアドバイス。幸せだなあ、心が落ち着くなあ、空気が美味しいなあ、という声が聞こえたら自分は正しい場所にいるということ。内なる声に従えば人生はとてもハッピーなものになります。だけど現代人にはこれが難しい。なぜなら内なる声は世間の評価と対立するから。そんなことしたら評価が下がる、白い目で見られる、稼げなくなる。そういう焦りから内なる声に耳を閉ざし、だんだん声が聞こえなくなっていくのです。
前回124目/大野「いつ真剣に耳を傾けたでしょうね?」
どの声に従って生きていっているのか?の自覚があるのならそれでいいでしょうね。そのままでいい。ありのままでいい。耳障りはとてもいい。それでも何か違和感を覚える。気づいたらいつの間にか目には見えないが確かに感じる枠の存在。そしてその枠を越えようとしたくなる衝動。肩の力を抜いて楽に生きる考え方とやり方はGoogle教授に聞けば誰でも心得知ることができる時代。それでもそこに居座れない。もがく。もがき続ける。憧れに向かって。喉の渇きによく似た憧れ。僕たちは、果たして自分の内側の声は自分自身に向かって何を言っているのか?いつ真剣に耳を傾けたでしょうね?って自分に聞くこともできる。
ー大野より
前々回123通目/安田「かわいいヤツ」
水の如し人生ですか。素晴らしいですね。そこら中にあるけど生きていくには不可欠な存在。そういう人で溢れると世の中は素敵なものになるのでしょう。でもなかなか人間は水のようにはなれませんね。四角い器に入ってるのに意地を張って丸いままいようとしたり。それで形がくずれて丸ですらなくなってしまったり。恩恵を与えるよりも与えてもらおうとするし。やたらと高いところへ行きたがるし。水とはおよそ正反対。神の作りし自然の法則にひたすら歯向かっていこうとする存在。でも私は人間のそういう部分も好きですね。つまらない意地を張ったり。やたら他人の目を気にしたり。もしも人間がペットならなかなかかわいいヤツですよ。
ー安田佳生より
交換日記をする二人