人間交換日記 139通目「人間という生物の中の一部品」安田

人間交換日記
「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


139通目/安田からの返信 「人間という生物の中の一部品」

ひとりで何もできないとのご意見には賛成です。というか、もはや人間は、人間という大きなひとつの生物ではないかとさえ思います。ひとりになってしまったら人間ほど弱い動物はありません。野垂れ死にすることは確かです。人間はそもそも分業の動物であり、それがうまく組み合わさって機能しているからこそ、他を圧倒する生物となれるのでしょう。アリやハチも組織で生きていますが、人間組織の複雑さとは比べものになりません。そう考えるとやはり、人間には生まれ持った役割があるのだと思います。親指の細胞が親指の細胞の役割を全うするからこそ、人体は維持できる。人はひとりひとり違う役割を持っているのです。

前回138目/大野「一人じゃ何も成し得ちゃいない」

安田さんへ

啐啄の機という言葉があります。辞書によれば、啐とは雛が孵化しようと殻の内側からつつく音のこと。啄とは、母鳥がそれを外からコツコツとつつく音のこと。この両者のタイミングが一致していることが重要で、親鳥のサポートが早すぎても、遅過ぎても、雛は死んでしまうと。しかし、そのタイミングは雛のかえりたいという意思から始まる。時に、人も一人では決して殻を破れないのかもしれません。ふと、「最上のわざ」という詩を思い出しました。一部を紹介すると、(略)弱って、もはや人のために役に立たずとも、親切で柔和であること。老いの荷物は神の賜物(略)本当は全部を紹介したいほど。何れにせよ、一人じゃ何も成し得ちゃいない。

ー大野より

前々回137通目/安田「どのクレージーと向き合うのか」

大野さんへ

クレージーな人のそばにいる・・・これはなかなか勇気のいる作戦ですね。まあクレージーの種類にもよりますけど。芸術家的なクレージーはぜんぜん平気なんです。でもいきなり大きな声を出すとか、いきなり怒り出すとか、その手のクレージーは本当に苦手でして。あまりにも突然キレる人だったので、大口の取引を断ったこともあります。私には平穏がいちばん重要なのです。とは言え私自身も見方によってはクレージーなんでしょうね。境目研究家を名乗って生きていくとか。給料を払いすぎて会社を潰してしまうとか。きっと人はみな何かの分野でクレージーなのでしょう。自分自身のクレージーと向き合うことがいちばん大事なのかもしれません。

ー安田佳生より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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