その4「ネクタイのふしぎ」

大昔の話なのですが、
外いってきますと会社を出ては
ひたすら街中を徘徊するという
時期を過ごしていたころがありました。
電車に乗ったり
お店に入ったり、
大きなオフィスビルの共有部分を散歩したり。

そこでふと気づいたのは、
ネクタイを締めてさえいれば
とりあえずどこにいても存在自体は否定されないっぽい、
ということでした。

いったん誰かに話しかけてしまえばその時点で
売りこみに来た浅薄な営業マンであることがバレてしまうのですが、
余計なことを特にしなければ、
あと最低限、ヒゲさえ剃っていれば
ワタシはまっとうな社会人です、
という顔をするに
恥ずかしさを感じることはなかったのです。

履いていた靴は量販店の一番安い価格帯で
着ていた背広は量販店の一番安いグループで、
とにかく全身そこらで売られている一番安いもので済ませていました。
見る目のある方が見れば
そんなことも明らかだったでしょうが、
営業くんであることで侮られることはあっても
安物くんであることを理由に侮られたことはありません。

身だしなみが社会的に不可欠なマナーであれば
「わかっている(=知識がある)」
「ちゃんとしている(=お金をかけている)」
ことは礼節の度合いを推し量る材料になって不思議でないはずですが、
実際は「ネクタイを締めているかどうか」
だけが万人に共通する判断のようにも思われます。

昨今は
みなさんがクールビズに乗っかりすぎて
夏でなくてもノーネクタイがまかり通っていますが、
わたくしのような立場の人間からすると
ちょっとした居心地の悪さを感じずにはいられないのです。

なんというか、
ひとを中身で判断するような風潮は良くないと思うのですよ。

著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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