梅雨入り前だというのに、雨が多うございます。
先日、自宅アパートメントに入ろうとしたところ、
入口の前に白いマスクが落ちて
雨に濡れそぼっておりました。
それを見たとき、
わたくしの心に2年前の社会の風景が蘇ってまいりました。
みなさまの記憶にも新しいでしょう、
マスクをめぐる狂騒曲が鳴り響いた数ヶ月です。
毛羽の立った使い捨てマスクを
みなが何食わぬ顔で使い続ける日々。
きっとあんなことは生きている間
二度とはないでしょう。
つけることを求める場所とそれを拒否する人の間でもめたり、
マスクを忘れて外出することを
「ズボンを穿き忘れるような感じ」と表現したり、
若者が羞恥心のあらわれとして
「顔パンツ」とたとえているとか、
この数年で局地的な事件にもなり、さんざんに語られ、コスられ、
マスクにスポットライトが当たることも少なくなりました。
そして今、
大きな意味では終わりつつあるとも、
まったく終わっていないともいえる状況において、
こと我が国では「とりあえず着用しておく」のが常識ラインとしての現状です。
以下は私見になりますが、
現時点のわれわれの着用態度は
もはや予防・医療的観点はうすく、
ただの身だしなみと化しつつあるといえるのではないでしょうか。
そして、ここにいたる経緯をみると、
「みながなすべきこと」というテーマの
どこにラインを引くべきかという明確な目的に向けて
理性的な議論が積み重ねられた結果
そこに着地したわけでは決してなく、
個々の出来事や変化や単なる主観と主義主張の混沌の中から
ただただなんとなく今に流れ着いたように感じられます。
実際、他の国、他の人ではそうでないのですから。
おそらくは、
すべての人に関わりのある
全員参加型の環境下では、
われわれは事実を集め、それに基づいて考え、話し合い、
建設的に決めるということが
致命的にできないのでしょう。
マスクは、われわれにとって、
予防の道具ではなく、どこまでも社会の入場券なのです。
もちろんこれはあくまで個人的な意見であり、
いくらでも異論(イーロン)を認めます。
……マスクだけに。