雑談などで
「もしもどこかの過去に戻れるとしたら、あなたは戻りますか?」
というお題、誰もが一度は出したり出されたりしたことがあると思います。
それに対して、答えの前に肌感60%くらいの確率で返ってくるのが、
「いまの記憶や知識を持っていけますか?」という問い返しです。
そして、わたくし自身がそう問い返してしまう典型のタイプであるところから申し上げますと、これが口に出る時点で、なんというか人生の才能がイマイチなのかな、と思うところでございます。
なぜかといいますと、まず、最初の質問が「もう一回人生をループしてみたいか」なのか、「人生をやり直してみたいか」なのか、という確認をしないと進めないからということです。
後者の場合、現在の経験を使ってより豊かな人生に結びつくことを考えているのでしょうが、逆にいえば今の自分が過去よりも価値があるといいきれないからだともいえます。
過去の自分より経験を持ちながら、全面的に上であるといえないのは、当然時間という可能性を失っているからです。
経験その他を得た代わりに、時間を失った。時間を取り戻せたらものすごい魅力に違いないが、いまの持ち物は置いていけないという時点で、自分自身の人生の評価額がそこまで高いといえないという証左でもあります。
それにしても人生とはフシギなものです。
自由意志が認められるということは社会の豊かさが故でもありますが、選択を迫られるのは子供のころから定期的にやってくるイベントです。
学校を選ぶ、部活を選ぶ、交友関係を選ぶ、専攻を選ぶ、生活の手段を選ぶ。
それは同時に選ばれる対象になることでもありますが、いずれにせよ最初の選択をしたことから始まるのです。
受験する大学の学部を決めるとき、そもそも大学が本質的に何をするところなのかを理解していなかったり、仕事とは何かを考えたこともないのに就職活動をはじめたり、一部の才能ある人を除いて、だいたいの人は決定的な決断をからっぽの状態で行うのが常です。
そりゃあ、
「いまの記憶や知識を持っていけますか?」
とつい、口走ってしまうってものなのです。

















