人間に平等なものがあるとすれば、それは時間だ、というようなことを申します。
1年365日、1日24時間という条件だけは誰しも均等である、と。
しかしこれ、個人的にはやや懐疑的に感じているところです。
実際、時間が一本の引かれた線のように連続性をもって続いているというのは、かなり最近になって常識になったものであって、文化や時代によって時間というものの捉え方、概念は多様であったようです。
時計を腕に巻いて生活するようになったからといって、時間に対する感覚が時計の経過時間と一致することはむしろないということは、生活の中で日々実感することです。
あっという間の2時間もあれば、長すぎる5分間もあり、毎日が濃厚な子供時代もあれば、1年が1日のようにしか思えない中高年期もあるものです。
時間とは客観的な存在でありながら、主観的にしか向き合うことができないものです。
そんなことをいっておきながらですが、こと仕事においては「定量的に時間が使える」人ほど、仕事の質が高い傾向があることは、間違いのないことでしょう。
定量的とは、時間をお金や労力と同じように、有限の資産として管理できることです。もう少しいえば、決まった時間の中で「何ができて、何ができないか」を明確にできることです。
若い方に多いですが、はやりのワードでいう「タイパ」が好きな層というものが少なからずいます。
ふたつのことを同時並行させることで成果物の量を増やしたり、スキマ時間になにかを行うことでタイパを向上させようとする試みは、いつの時代も魅力があるようです。
一方で、人間の情報処理の仕組みからいって、マルチタスク的な取り組みはほとんどいい結果をもたらさず、シングルタスクに勝ることはない、というのが近年の専門的な研究の結論ということです。
つまり、できるだけいくつものことを一気に片づけたいのはやまやまなれど、人間にはそれを都合よく処理できる能力は備わってはいない、というのです。
マルチタスクは「できないもの」と割り切り、一本の引かれた線のように、正しい優先順位でシングルタスクを遂行していく。
時間の使い方のキモはそこにこそ集約され、人間が時間に感じる生理的な自然さとはちょっと異なっている、そんなように思うのでございます。

















