その108 有能っぽいの好き

わたくしが携わっている仕事の周辺は海外とやりとりすることが多く、
一定数の人は英会話ができます。(自分はできません……)
英会話といっても、大抵はブロークンな、いわゆるカタカナ英語ですが、
相手先が非英語圏であることが多いからか
話すのも聞くのも、まず困ることはないようです。

ビジネスだと情報の伝達を正しく行うという明確な目的により
自分も相手もきわめてマジメに会話するため、
うまい、うまくないは二の次であるようです。
まあ、これは多くの方が当たり前に認識なさっていることかもしれません。

しかし、あるときその仕事に入ってきた若者は
スピーキングのレベルがまるで周囲と違っていました。
中学1年の英語の授業で教材として聞かされるような、
巻き舌がちゃんと巻いている、ネイティブっぽい、
一言でいって「カッコイイ」英語を操っていたのです。

聞き取りも達者であり、
業務知識は少なくとも、会話での正確な解釈を求められて
最初の方から重要な打ち合わせに参加することなどもあったようです。

そうして仕事に混じるようになってから1年以上したとき、
ふと、その人の上司が意外なことを言っているのを耳にしました。

「でも、まだこれがわかんないの、って感じだからな、あの人……」

自分はあまり業務上関わったことはなかったのですが、
個人的な印象としては、その人は性格的にはいたって真面目で、愛想がよく、
なにかやり取りをする際に不足したものを抱いたことはありませんでした。
むしろ、ちょっと丁寧すぎるかな、と思ったことはありましたが。

しかし、上司の方の話を続けて聞くと、
仕事に入って過ごした日数に対して明らかに習熟が不十分であり、
パフォーマンスには不満があるようでした。

英語が喋る能力だけで英会話教師にはなれないように、
語学力が必須の職場の場合、
語学力があることは仕事に参加するための必要条件であり、
十分条件ではありません。

にもかかわらず、自分などはその人を
「まあデキる方の人なのかな」ととりあえず認識しており、
英語がカッコよくて感じのいい対応をするからという理由で
少なくとも最初のうちは周囲全体がそんな雰囲気でした。

ひとの印象は出会った最初のうちに7、8割以上形成されるといいますが、
他人への評価が適正なものであるのかどうかを
そもそも自らが正しく識別する能力があるのか、考えさせられます。

今にして思えば、丁寧すぎるかな、と自分が軽く抱いた印象も、
べつの捉え方ができるような気がするのです。

もしかして、あれは要領が悪かっただけのことではないのか……と。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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