先日ひさびさに観光旅行に出かけたところ、
帰りの新幹線まで変に時間が空いてしまい、
その土地のショッピングモールのフードコートのような共有スペースで
1時間くらい座っておりました。
もちろん、時間つぶしするにしても
スマホを触っていれば一瞬で過ぎるはずですが、
どうにもそんな気分になれずに
ただ見知らぬ場所で茫洋としておりました。
元よりぼんくらな人間ですので
ひまを費やすのはまったく苦ではないのですが、
「何もしたいことが思いつかない場所に1時間いなければならない」という体験は
旅先でもなければ味わいずらいものなのかもしれません。
国内で旅行に行く誰もが思うだろうことですが、
観光地というものはすっかり海外の方でいっぱいです。
何をこんなところに見ようと思えるものがあるのか、
などと考えるのは同国人のすることで、
異なるカルチャーというのは差異自体に刺激やおもしろさが含まれるものです。
旅が人間に与える効果があるとすれば、
ひとつは「アイデンティティを明瞭にする」作用でありましょう。
いつもと違う景色と見知らぬ人を通して
自分が社会的に何に属している存在なのか、
旅はその輪郭を少しだけはっきりさせてくれるかもしれません。
一方、ピラミッドだろうと、イグアスの滝であろうと、ラスベガスであろうと、
観光が存在するということはそれを受け入れて生活の糧としている
現地人が存在するということでもあります。
その人たちにとってはイグアスの滝も「日常」であり、
ただの背景にすぎないことは想像に難くありません。
国内国外を飛び回っているビジネスパーソンの方には笑われそうですが、
わたくしは新幹線に乗るのがけっこう楽しみです。
かっこいい電車に乗れるという子供のような楽しみもあるにはありますが、
それよりは
日ごろ動物園の動物のような暮らしをしているためか、
なにかが自分を遠くに放り投げてくれる圧力のようなものを
ずしっと感じられるのが、素直に楽しいのです。
しかし、PCを携えて働く人にとって、新幹線というのは完全に職場のようです。
各人が待合室で過ごすであろうせいぜい10、20分の間も
コンセント付きのワークスペースは盛況でしたし、
車内にPCを広げた人は当然いますし、ビジネス専用の車両もできました。
新幹線程度の差異効果では、「日常」はぴったりくっついてくるようです。
こちらの方が、まあ、オトナの常識ですよね……