とうに年も明けてしまいましたが、
毎年、年末に世間様では「十大ニュース」が取り上げられます。
同じような視点で、アパレルやガジェット界隈では「今年のベストバイ」、
音楽雑誌だったら「今年のベストアルバム」など、
人間というものはなにかと「まとめ」を行いがちです。
まとめというのは記録の整理ですので、
その対象となるのは一定の量に達した日々の情報の積み重ねです。
インスタに、ひたすらラーメンの写真を載せ続けている人などがおられますが、
そういった日常の繰り返しがあってはじめて、
「今年のラーメンベストテン」は成立しうるわけです。
さて、ちょうど500年前、歴史上はじめて3年をかけて世界一周した
スペインのマゼラン艦隊という船団がありました。
実は、リーダーのマゼランは途中で命を落としてしまったので
世界一周をしたのは彼の「船」なのですが、
それを達成したメンバーの中に航海の詳細な記録を残した学者がいました。
学者は、旅の終わりに記録の日付がヨーロッパで認識されている日にちと
一日ずれていることに気づきました。
記録は各地の現地人との戦闘や全員餓死寸前の状況などをくぐりぬけて
3年間決して欠かさずに続いていたため、
そのことには大きな驚きがあったそうです。
これはもちろん地球の自転によって生じる出来事で、
のちに日付変更線が設定される契機になったともいわれていますが、
それらを理論だけでなく具体的に実証した有名なエピソードです。
べつだん、学者はなにかを証明することを目的にして
記録を残したわけではないでしょうが、
記録の「量」が大きな価値を発揮するのはこういったときではないかと思います。
一方で、往々にして記録は行為自体が目的になります。
研究・開発分野のようにデータの使用法までルールがあればいいのですが、
そうでない場合もあることは多くの方が体感されているでしょう。
記録が機械的なルーティンに陥るのは
基本的にはその使い道がどこにもない、
または有意義とは言い難いことにもよるのでしょうが、
そもそも記録の本質に近いところが「量」にあるからです。
記録の「量」に価値があるのか、
あるいはただのムダな情報の集積に過ぎないのか、
それを決めるのはたとえば分析などの活用によるかもしれませんが、
マゼランの船の学者が死と隣り合わせの過酷な環境で記録を残したように、
記録そのものの置かれた環境、在り方によって
ある程度最初から決まっているように思えてなりません。
「今年のベストバイ」だって、正直あってもなくてもいい話ですが、
ようするにインフルエンサーのあの人が気に入ったものは何?
という好奇心のためのものですしね……