【連載第38回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 055)

駅に入ってしまうと、人の多さに、俺たちはほとんど会話することもできなくなった。

サラリーマンで満載の地下鉄に揺られながら、俺はぼんやりと考える。

営業とは何か。

そもそも、仕事とは何か。

プレゼンは価値観の提示だ、と高橋は言った。そして、それに賛同するかどうかはクライアントが決めることだと。いまいちピンと来ないが、価値観という言葉をプランに、賛同という言葉を契約に変えれば、印象は変わってくる。プレゼンはプランの提示で、契約するかどうかはクライアントが決めること。

そう考えれば、何もおかしなことなどない。当たり前のことじゃないかと思う自分もいる。

……だが、そうじゃない自分もいる。

本当に「当たり前」だろうか。プランを考え、それを提示し、契約するかどうかはクライアントに委ねる。俺は今まで、そういう営業をしてきただろうか。

違うような気がした。

俺がやってきたのは、プランを考えることでも、契約を相手に委ねることでもない。俺の頭にあったのは、そう、「どうすれば契約がもらえるか」だけだった。相手がうんと言いやすいプラン、相手に気に入られるためのごますり、丁寧すぎるほどのお礼メール、相手の上司に宛てた手書きの手紙。それらすべてが、「契約」のためだった。

それが営業の仕事だ、と思っていたから。

ーー地下鉄の車内、俺はぼんやりと、少し離れた場所にいるHR特別室の3人を見る。乗客でごった返す車内で、室長はあのゆるい笑顔でバスケットのシュートのような動きをし、それを隣の高橋がたしなめる。保科は我関せず、2人に背を向ける格好で、スマホに何かを打ち込んでいる。

営業とは何か。

仕事とは何か。

あの人たちと一緒にいると、それがわからなくなる。

もしかしたら、槙原社長も同じだったのかもしれない。自分が「当たり前」だと思っていた価値観が、高橋や都筑によって揺さぶられた。自分の考える当たり前は当たり前じゃなかったのかもしれない。もっと別の、それも、もっと素晴らしい道が他にあるのかもしれない、と。

高橋の迷いのない言葉が、そして、都筑という憧れの先輩からの必死の訴えが、槙原社長の価値観を揺さぶった。もちろん葛藤はあるだろう。人間はきっと、それまで自分が信じてきた価値観を、そう簡単には捨てられない。それはそのまま、過去の自分の否定になるのではないかと思うからだ。

……だが、HR特別室の面々は、槇原社長を否定するためだけにここまでしたのだろうか?

高橋、保科、そして室長。以前の俺なら「頭のおかしい奴ら」で切り捨てたであろう彼らが、いま、俺の価値観を激しく揺さぶっている。

第4話 エピローグつづく)

 

著者情報

児玉 達郎|Tatsuro Kodama

ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。

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