人間は驚くと、感情的になりやすいものらしい。
HR特別室の3人は相変わらずだった。俺の送別会だと言いながら、俺に関係のない話をベラベラと話し、そうかと思えば高橋が俺を“ねえ、僕ちゃん”と甘ったるくからかってみせたり、室長は急に立ち上がってバスケットのシュート練習(もちろんエアーだ)を始めたり、保科に至ってはその場でガッツリ系のスマホRPGゲームを始めやがったりする。だが――
なんだろう、これは。
社長が次々運んでくるビールを半ばヤケになあって喉に流し込み、茂木が開発したというフィッシュバーガー(これは社長が初めて「悪くない」と認めてくれたらしい)を頬張っている間に、俺はどんどん感傷的な気分になっていったのだった。
送別会、だと?
社会人になってから、この手のイベントごとは何度もあった。新卒で入社してすぐに歓迎会があったし、3ヶ月の決算ごとにチームや部の打ち上げがあったし、何なら週1回2回という頻度で上司のつまらない説教を聞くために居酒屋に連れて行かれたりした。それがサラリーマンとしての務めであり、一つ一つの飲み会に意味がなかろうが、長い目で見れば、こういう文化に馴染めない人間が出世することはない。そう考えて、イヤイヤながら我慢して参加してきた。
……そう、俺はずっと我慢してきた。
飲み会だけじゃない。
俺は本当は、いろんなことを我慢してきた。
満員電車に乗って通勤することも、客や上司からの理不尽に耐えることも、売上目標を勝手にどんどん上げられることも、そして、仕事の過程にやりがいや喜びを感じられないことも、俺は「サラリーマンだから仕方がない」「まだ新人だから仕方ない」と我慢し、そして諦めてきた。
だが、どうだ。
このおかしな部署のメンバーたちは、何も我慢などしていない。好きな時間に出社し、目上の企業の社長にも啖呵を切り、売上目標どころか自ら売上を捨てるようなことばかりする。
しかし――
そう、しかし。
俺はこの人達のように、自分の仕事に「プライド」を持って取り組んできただろうか。
金になるかどうかもわからないのに、馬鹿みたいに本気になって取り組んだことがあっただろうか。
ふと気がつくと、そんなことを考えている俺を高橋が見ていた。
「来週からは、営業一部のメンバーに戻るわけね」
すると室長も話に入ってくる。
「営業一部と言えば、我が社のエリート部署だものな。すごいよね、ええと……」
「……村本です」
何度目かわからないこのアホくさいやり取り。だが俺は何かやりきれない気持ちになってくる。そこに、さっきの新人店員が追加の料理を持ってくる。茶髪の若い女。まるで大切な壺でも運ぶような慎重さで、キレイに盛り付けられたポテトフライを皿にそっと置く。
「これ、私が揚げたんです。何十回と練習して……でも、何か違和感あったら教えて下さい。次から絶対に直しますんで!」
こちらが引くくらいの眼力で言う。ふと見れば、カウンターの中では茂木と社長が、恐らくは自分より年上だろう中年男に、真剣に何かを教えている。中年男も、額に汗をびっしりかきながら、真剣にそれを聞いている。
……なんだよ。
……なんなんだよ、皆。
こいつらに比べて……俺はどうなんだ。
こんなんで……こんなんでいいのかよ。
「あの!」
気がつくと言っていた。理性が、というより、本能が叫んだような感じだった。
「……俺、もう少しここにいちゃダメですかね」
おい。
何を言ってる。
「もう少し、HR特別室にいちゃダメですかね」
バカな。
頭でもおかしくなったのか。
だが、言葉は止まらなかった。
「俺、ここに来て、なんかいろんなことがひっくり返されて、最初はなんだこれって、みんな頭おかしいんじゃないかって思って、いや、今でもちょっと思ってますけど、でも、でも、何か掴めそうなんですよ。だから、もう少しここで、皆さんと一緒に仕事しちゃ、ダメですかね」
酔いすぎだ。
何を言っている。
思わず俯いた。早くも後悔が襲ってくる。だが……だが、何も間違っていないとも思うのだ。俺は事実、そう感じていた。来週の月曜、何事もなかったように営業一部に出勤する自分を、想像できなかった。たった一週間だ。たった一週間、彼らと過ごしただけなのに。
……ちょっとした沈黙の後で、高橋のふっという笑い声が聞こえた。
視線をあげると、いつになく嬉しそうな高橋の顔。
「ダメよ」
「……え?」
「ねえ?」
そう言って高橋は保科を見る。保科はスマホをテーブルに置き、俺の方を見た。
「ダメに決まってんじゃん」
「そんな……」
助けを求めるように室長を見る。室長はいつもの呑気そうな笑顔だ。だが、その口から放たれた言葉は、俺の頭の中にずっと残るものになった。
「君は帰る。それが大事なことなんだ」
「……」
「だけど、営業一部に帰る君は、一週間前の君とは別の君だ。私たちとの仕事を通じて君が何か変化をしたのなら、そしてそれを自分で大切だと思えるなら、君はその変化をほかの誰かに伝えていかなければならない。鬼頭部長がなぜ君をここに送り込んだのか、送り込まれた人間として、君はそれを本気で考える責任があるんだよ」
「やだ、ちょっと良いこと言うじゃない」
高橋がちゃかしながら、手元のビールジョッキを手にとった。隣の保科も、烏龍茶を手に持って掲げる。
「別にどこで働こうが、君はもう、HR特別室のことを忘れることはない。そうだろ?」
そう言って室長もジョッキを持ち上げた。
俺は三人の顔を見回した。その目に、俺をバカにするような色は一切ない。
こみあげてくる涙を奥歯で噛み締めながら、俺もジョッキを持ち上げた。
「乾杯!」
室長の声が響き、次の瞬間、グラス同士が重なりあう高い音が響いた。
(エピローグにつづく)
児玉 達郎|Tatsuro Kodama
ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。
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