このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
僕、趣味で格闘技をやっております。
センスがない人間がいかに伸びないかを実感しています・・・
なので、仕事では絶対に適材適所じゃないと大赤字になるって実感しております。
ところで、フルコンタクト空手と呼ばれる、直接打撃が認められている空手の試合って見たことありますか?
「もろずね」と呼ばれる、すね当て無しで蹴ります
脛って本来、弱点じゃないですか?
そこで思いっきり蹴ったり、脛で相手の蹴りを受けたりしますから、見てて「うわぁ、痛い…」って震え上がります。
僕がフィリピン法人を立ち上げていた頃、極真館というフルコンタクト空手の道場に行っていたんです。
ちなみに稽古はタガログ語と英語なので、「Osu(押忍)」以外は何を言っているかわかりませんでしたが・・・
さて、その空手なんですが、幸い僕の年齢だと、試合でもすね当てなどの着用が認められてて、助かったのですが、稽古中、「もろずね」でスパーリングをすることもあるんです。
もうね、痛いのよ・・・
脛同士がぶつかるは皆さん想像するだけでゾワッてすると思うんですが、脛で太ももを蹴られるのも相当痛いんです。
筋肉がブチって切れるみたいな感じです。
で、先輩方に「もろずね痛いです…」とこぼすと、こんなアドバイスが得られます。
・ビール瓶で脛を叩く
・鉄柱を蹴る
これらは昭和の頃から語り継がれている伝統的な稽古法です。
ちなみに、今、令和3年なのですが、空手の先輩方は未だに昭和を生きています。
そして、「痛いです…」とこぼすと・・・
・「痛くない、痛くない」と言いながら、殴る蹴るを止めてくれない
・「痛いと思うから、痛いんだよ」と当たり前のことを言ってくる
と返ってくる始末です。
こういうのって昭和の頃から言われている稽古方法や教育方針(根性論)!?なんです。
きっと、こういうのもアップデートはされているんでしょうけど、多くの先輩方はなぜか昭和方式がお好きなんですよね・・・
でも、よく考えたら、それも含めて「空手っぽさ」なのかもしれませんね。
これって、消費者として、「敢えての不便や非効率」を買っているとも言えますよね?
きっと同じ成果(例えば強い脛をつくる)を得るのに、もっと効率のいい方法があるはずですから。
例えば、もんじゃ焼き、焼き肉とかも調理過程(不便や非効率)を含めて買っていると言えます。
従業員が代わりに作ると、当然人件費がかかるのですが、その分を商品代金に上乗せできるか?と言えば・・・
「敢えての不便や非効率」を買ってもらっている場合は上乗せできませんよね。
むしろ、「なんで作ってくれちゃうんですか!?自分で作りたかったのに!」って言われるかもしれません。
他にも、プラモデルやラジコンもそうですよね。
それぞれ完成品も手に入るけど、「敢えての不便や非効率」を楽しむために自分で作るタイプを買う人も大勢いらっしゃいます。
もしかすると、「不便や非効率」があるモノやコトについて、それらを楽しめる人が一定数いれば、お金に変わるかもしれませんね。
まぁ、そもそも空手の場合、お金払って痛い思いをしているという不思議な状態なんですけど・・・
ドMの方におすすめ致します。
(「やる側」に回れるほどの実力者であれば、ドSの方にもおすすめできますが、どうかほどほどに・・・押忍)
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。